2024年04月24日( 水 )

「平成の大失敗」の歴史潮流は少なくとも、あと数十年は続く!(4)

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東京大学大学院情報学環教授 吉見 俊哉 氏

国民の大きな期待が短期間で、大きな失望に変わった

 ――2階のフロア「平成の政治」についてご案内いただけますか。

 吉見 バブル時代の日本の政治に生じたことは、爛熟どころか腐爛の様相を呈していた55年体制の液状化でした。平成直前の1988年に発覚するリクルート事件が平成の政治の液状化を加速させていきます。

 平成の政治は政治改革から政治主導に向かうことを目指しました。そして、それとほぼ同じ頃に日本新党ブームや社会党の自滅が起こり、2001年に小泉純一郎がそれまでの自民党のどの政権とも異なるポピュリズム型の政治を展開して首相の座に就きました。しかし、その後の自民党政権(安倍晋三、福田康夫、麻生太郎)はいずれも迷走・失墜していきます。そして、2009年8月30日投票の衆議院選挙で、民主党が115から308と議席数を3倍近く伸ばして圧勝し、鳩山由紀夫政権が誕生しました。

 民主党の方針は、少なくとも当初は小泉政権よりもずっと真面目で正攻法でした。しかし、結果は見かけ上の優劣とは正反対、小泉政治の完勝、民主党政治の惨敗に終わり、国民の大きな期待が短期間で大きな失望に変わりました。その失敗の大きな理由は、政治主導とは何かについての吟味が足りず、官僚たちとの協働体制を崩壊させてしまったことでしょう。この評価は歴史に譲るとしても、これに先立ち、戦後政治の55年体制にとどめを刺し、民主党政権を含めて平成政治の影の中心であったのは小沢一郎でした。

政治の公正性が根底から損なわれ、すべてが虚構化していく

 2012年12月に実施された衆議院選挙では、自民党が118から294へと3倍近く議席を増やして圧勝、第2次安倍内閣が誕生しました。第2次安倍内閣では、官房長官の菅義偉を中心に人事局新設の動きが強まり、2014年内閣官房に設置、現在、省庁の幹部ポストの人事権を首相官邸が握っています。

 その結果、今、中央省庁の官僚たちには、自分の省庁の伝統や方針を守るよりも、自ら官邸の意向を「忖度」する態度が浸透しています。その最大の危うさは、官邸と省庁の関係が液状化するなかで、公的記録に基づく、政治の公正性が根底から損なわれ、すべてが虚構化していくことです。

【リクルート事件】
 リクルートのグループ企業「リクルートコスモス」の未公開株が政治家や官僚らにばらまかれた事件。事件をきっかけに竹下登元首相は退陣に追い込まれた。贈賄側の江副浩正リクルート元会長の公判は100人以上の証人が出廷し、13年3カ月を要した。

 

「オウム真理教事件」と「アメリカでの同時多発テロ」

 ――3階のフロア「平成の社会」です。ここでは、何を学ぶことができますか。

 吉見 実をいえば、社会の「失敗」という観点は、経済や政治の「失敗」ほど明白ではありません。厳密にいえば、社会の「失敗」、さらに文化の「失敗」などはあり得ないといえるかも知れません。というのも、社会にはいろいろな主体がいますから、Aにとっての失敗は、Bにとっての成功だったりしますし、文化はそれ自体が目的なので、目的が達成されなくて失敗ということは原理的に生じないからです。しかし、どんなショックが起こって、社会が変容し、そして文化が変容していったのかを考えることはとても重要です。また、経済と政治の失敗は、社会や文化のショックや崩壊とも表裏を成しています。

 平成社会における最悪の「ショック」は国内的には、1995年の「オウム真理教事件」世界レベルでは2001年9月11日の「アメリカでの同時多発テロ」です。また平成の社会では2極化が進み「格差社会」や「階級社会」という言葉も生まれました。非正規雇用の若者や女性、外国人労働者を社会全体が搾取し続ける体制の固定化が行われました。

 これを正当化したのが新自由主義のイデオロギーであり、そこで使われたのが「構造改革」というキャッチフレーズでした。その影響を受け、合計特殊出生率は1.50を下回り続け、社会の基盤がもはや、持続不可能となりつつあります。

平成の崩壊が1970年代から文化的には予見されていた

 ――いよいよ最上階の4階のフロア「平成の文化」です。ここでは、何を学ぶことができますか。

 吉見 今までお話した平成の崩壊が、かなり前の1970年代から、文化的には予見されていたことがわかります。オイルショックの年1970年代にベストセラーになった小松左京の『日本沈没』(73年)や『ノストラダムスの大予言』(73年)などの書籍がそのことを物語っています。また、この階には、未来の日本の終末を描いた、書籍、アニメ、なども数多く展示されています。

 もう1つ平成の時代を語る文化的な大きな「ショック」は、ラジオ、テレビ、新聞などの「マスメディアの崩壊」です。コンピュータとインターネットがコミュニケーションの支配的な基盤となっていきました。

「平成」から「令和」に変わってもこの事実は変わらない

 ――最後に「平成ミュージアム」を鑑賞し終わった読者に一言いただけますか。

 吉見 平成時代には3つの大きな変化が起こりました。1つ目は「グローバル化」、2つ目は「ネット化・デジタル化」、3つ目は「人口構造の転換」です。そして、日本はこの3つの歴史的変化への対応が後手に回り、ずるずると失敗を重ねました。

 元号が「平成」から「令和」に変わってもこの事実は変わりません。私はこの「大失敗」の歴史潮流は少なくとも後数十年は続くと考えています。何よりも重要なのは、危機の実相を真正面から見据え、危機を危機として誰しもがしっかりと理解することです。

 そこで、賢明な読者の皆さまには、「平成ミュージアム」を何度も訪れていただき、「令和」を強く生き抜く知恵を自らしっかり学んでいただけたら嬉しく思います。

(了)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
吉見俊哉(よしみ・しゅんや)

 1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授兼東京大学出版会 理事長。同大学副学長、大学総合研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割をはたす。2017年9月から2018年6月まで米国ハーバード大学客員教授。著書に『都市のドラマトゥルギー』、『博覧会の政治学』、『親米と反米』、『ポスト戦後社会』、『夢の原子力』、『「文系学部廃止」の衝撃』、『大予言「歴史の尺度」が示す未来』、『平成時代』など多数。

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