2024年04月20日( 土 )

珠海からの中国リポート(4)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

『囲城』の論理

 現代中国を代表する文学作品の1つに、銭鍾書(ジェン・ジョンシュー)の『囲城』(1947年)がある。テレビドラマ化されたこともあって、多くの中国人が知っている。日本語訳が『結婚狂詩曲』となっているように、結婚譚ととらえられることもあるが、中国のウィキペディアに相当する「百度百科」によると、「風刺小説」である。

 では、何を風刺しているのか。百度百科にはそれが書いてない。書いてはまずい理由でもあるのか、と勘ぐってしまう。

 主人公は凡庸にして意志薄弱、女性の誘惑に弱いが、女性を惹きつける魅力はない。出世欲もなく、気は優しいが職業が安定せず、行きあたりばったりの毎日。こんな主人公を設定して、作者は何を言いたかったのか。

 結婚したいという願望を抱く以前に、周囲から結婚話が来るタイプ。中国古典にも、西洋哲学や文学にも通じているのだが、確固たる信念は何もなく、人生を受動的に生きるばかり。一時代前の「悩めるインテリ」といったところだが、その「悩み」が単なるポーズに過ぎないかも知れず、時にはちゃっかり者のようにも見えてしまう人物である。

 面白いのは、この男が生きる時代として、作者が1920年代から30年代を設定していることだ。舞台は主に上海で、当時の中国では最もモダンな都市である。近代化が進み、自由主義思想から社会主義思想へと思潮転換が起こりつつある時代。そこへ日本軍が侵入してくるのだから、極めて複雑な状況である。

 ところが、そうした歴史の流れは少しも主人公の内部世界に入って来ず、彼は時代から隔絶した世界を生き続ける、あるいはそのふりをするのである。一筋縄では解釈できない小説である。

 主人公は時代のなかでの自らの立ち位置を考えることを拒否している。これといった情熱もなく、何とはなしに憂鬱な日々を送り続けている。そういう彼を、作者は時には同情的に、時に突き放してユーモラスに描く。「百度百科」でいう「風刺」とは、時代社会から取り残されたインテリ中国人に対する「風刺」といったところだろうか。

 外国人である私から見れば、この作品で最も重要なのはタイトルの「囲城」である。辞書には「軍勢によって囲まれた城市」の意だと書いてあるが、1990年にテレビドラマになった際には、毎放送ごとに「囲城とは城の外にいる人にとっては、中に入ってみたい場所であり、中にいる人にとっては逃げ出したくなる場所である」というナレーションが流れたという。このナレーションが人口に膾炙したとなれば、「囲城」という言葉自体が大事だということになる。

 そもそも、このドラマがどうしてそんなに人気を博したのか? 視聴者はこのドラマに何を感じ取ったのか? それは把握できないが、現在の中国、すなわちドラマ放映から約20年経っている現時点の中国を見るかぎりにおいて、やはり中国は「囲城」であり続け、中国人は1人ひとりが「囲城」を引きずっていると思わざるを得ない。海外旅行に出たり、海外からの情報を得たりしているうちに、ますます自らを「囲城の人」と感じるようになっているのではないか。

 万里の長城を築いた時から、この国は外の世界から自らを守らなくてはならないと決意してきた。その決意が「中国」をつくったのであり、海という自然の城壁があり、大陸の波乱から守られてきた日本人などには想像もつかないことだ。常に外の世界を目指し、自らの領域を拡大することを望んできた西洋人にも、無論、わかりづらいだろう。

 中国人は中国人であることで「人」となり、その「人」がほかの人と共存すべきであることもよくわかっているはずだ。そのことを教えるために、孔子や孟子が存在したと言っても間違いではないだろう。しかし、同時に彼らは、自分たちが築いてきた社会が、外敵の侵入で簡単に破壊されることもよく知っている。そういうわけで城を固め、外部の者の侵入を防ごうとしてきたのだ。現政府がGoogleを禁じ、外部からの情報が国民に届かないようにしているのも、同じ「囲城」の論理である。

 外敵から身を守ることに徹し、自らの情報を全世界に発信しようなどとは夢にも思わない。これぞまさに「囲城」の論理である。なのに、欧米諸国、否、日本までもが、中国は「覇者」になりたいのだろうなどと思っている。米中貿易戦争といわれるが、そもそも中国とアメリカでは戦争についての考え方がちがう。中国にとっては相手が存在しなくては戦争にならないが、一方のアメリカは、「敵」と見ればそれを抹消することしか考えない、すなわち、「相手」という概念がない。

 トランプ大統領が貿易戦争の口火を切ったとき、中国首脳部はいみじくも言った。「喧嘩したいのなら、じっくり付き合いますよ」と。外敵との戦いを熟知していなくては、こうした言葉は出てこない。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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