2024年04月24日( 水 )

【飯塚事件のその後】再審請求10年の飯塚事件~「疑惑の死刑」責任者たちの今(1)

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 死刑を執行された男性死刑囚に冤罪の疑いがあることで知られる「飯塚事件」は、死刑囚の遺族が再審請求してから10月28日で10年になる。いまだ再審の扉は開かれないが、一方で冤罪死刑の疑いも晴れないままだ。死刑執行の責任者たちは、今も自分たちの判断に間違いはなかったと思っているのか。1人ひとりの「その後」を追跡調査し、現在の考えを質した。

 

法務省。「疑惑の死刑」はこの建物の中で決裁された。
法務省。「疑惑の死刑」はこの建物の中で決裁された。

理不尽な事情で閉ざされた再審の扉

 1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害され、山中に遺体を遺棄された「飯塚事件」は、2008年に死刑執行された久間三千年氏(享年70)に冤罪の疑いが指摘されていることで有名だ。ただ、遺族と弁護団が2009年に行った再審請求は、すでに福岡地裁と福岡高裁に退けられた。現在、再審可否の審理は最高裁に委ねられているが、弁護側が苦戦している印象は否めない。ここで問題なのは、弁護側が苦戦している事情が理不尽であることだ。

 理不尽なのは第一に、久間氏の裁判で有罪の決め手になったDNA型鑑定について、再鑑定が不可能な状況にあることだ。というのも、飯塚事件のDNA型鑑定は、警察庁科学警察研究所(以下、科警研)があの冤罪「足利事件」でDNA型鑑定を行ったのと同じ90年代の初めに、ほぼ同じメンバーにより同じ手法で行ったものだ。

 足利事件では、再鑑定により科警研のDNA型鑑定が間違っていたとわかり、無期懲役刑に服していた菅家利和氏が再審で無罪を宣告されたが、それに加え、当時の科警研のDNA型鑑定は技術的に稚拙で、裁判で証拠になりえないレベルだったと判明している。そのことは、久間氏に冤罪の疑いが指摘される最大の理由だ。それにも関わらず、飯塚事件でDNA型の再鑑定ができない原因は、科警研がDNA型鑑定を行った際、試料である犯人の血痕を大量消費したことだ。そのせいで、再鑑定をするための犯人の血痕が残っていないのだ。

 さらに輪をかけて理不尽なのは、弁護側がDNA型の再鑑定をできないことに対する裁判所の対応だ。というのも、弁護団は再鑑定が不可能な状況のなか、科警研の鑑定書に添付された久間氏や犯人のDNAの写真を専門家に分析してもらい、「久間氏のDNA型は犯人と異なる」との見解を得て、再審請求にこぎつけた。しかし、福岡地裁はこれを〈再鑑定や実験結果などに基づくことなく、抽象的に推論するに過ぎない〉(再審請求棄却決定書)などと述べて否定し、福岡高裁も地裁に追随したのだ。再鑑定ができないのは科警研のせいなのに、弁護側の主張を退ける根拠にされているわけだ。

 「まったく非常識な判断であり、およそ裁判の名に値しない」。

 福岡地裁で再審請求が退けられた際、弁護団はそんな怒りの声明を出したが、心情的には理解できる。弁護側が再鑑定の機会を奪われたうえ、再鑑定ができないことなどを根拠に再審の扉が閉ざされている現状は、久間氏が冤罪であれば不正義極まりないし、仮に久間氏が冤罪ではないとしても著しく不公正だ。

 久間氏の死刑執行の責任者たちは、この理不尽な現実を踏まえても、死刑執行に間違いはなかったと思えるのだろうか。この10月28日で遺族と弁護団が再審請求して10年になるのを機に、筆者は1人ひとりに見解を質してみることにした。

(つづく)
【片岡 健】

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