2024年04月25日( 木 )

現実の資本主義経済より、もっと人間的な血の通ったシステムを模索!(中)

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立命館大学経済学部教授 松尾 匡 氏

「大きな政府・裁量政府」から「「大きな政府・基準政府」へ

 もともとあった、資本側か労働側かという、オーソドックスな「右派」対「左派」の対抗軸に加えて、1980年代に本格的に進行した資本主義の歴史的転換のなかの議論は、「大きな政府」対「小さな政府」という対抗軸で展開されてきました。

 しかし、私たちは、政府の規模や階級的立場をめぐるこれらの対抗軸とは別に、政府の意思決定があらかじめ明示されたルールに拘束される程度に関わる、「裁量政府」対「基準政府」というもう1つの対抗軸が存在することを見落としていたのです。

 考えてみれば、資本主義経済では、大規模な再分配や強力な規制をともなう「大きな政府」なしに労働者の利益を守ることができないのは当然だったのです。それゆえ、労働者側の政策を「小さな政府」によって実現しようとする各国での試みは失敗に終わるしかなかったと思います。すなわち、労働者側に立つ人々が追求すべきは、「大きな政府」から「小さな政府」への転換でなく、「大きな政府・裁量政府」の組み合わせから、「大きな政府・基準政府」の組み合わせへの転換だったのです。

 基準政府の使命は、リスクをともなう個別的な決定については、現場の当事者による自由で多様な選択に委ねたうえで、全社会的規模での政策については、ルールの明示とそれへの一貫したコミットメントを通じて、人々の予想を確定することにあります。マクロ経済学の分野では、これは人々にとって望ましい経済状況をもたらすインフレ率に対応する、適切なインフレ目標を設定し、それを達成するために政府と中央銀行があらゆる財政的・金融的手段を動員することに帰着します。

 ハイエクは国有中央計画経済でなく、経済活動は民間企業の自由に任せなさいと主張しました。しかし、何もかも民間に任せることを主張したわけではありません。そればかりか、国が人々に最低所得を保障することや、病気や事故や災害に備えるための保険を国家がお膳立てすることも認めています。これは基準政府ということです。従業員こき使い放題の自由とか、稼ぎのない者食うべからずとか、そんな種類の「自由主義」はハイエク思想とは無縁のものだと思います。

労働力も生産物資も消費財も、いつもどれも足りない経済

 ――本書では、「ソ連の崩壊」についても言及、その分析から学ぶべきものがあるとしています。

 松尾 1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが閉塞した体制を打開するために、言論の自由化を進めていくと、これまで抑え込まれていた不満が爆発、1989年には東ヨーロッパで一党独政権が次々と崩壊しました。1991年には、ソ連で、共産党保守派のクーデターを市民が立ち上がって3日で粉砕し、ついにその年末にはソ連が崩壊しました。

 このソ連崩壊については年代で受け止め方がわかれると思います。1つは、「個人の自由を力で押さえつける独裁体制は必ず打倒されるものだ」というものです。私たちの世代の多くはこのような受け止め方をしました。ところが、その後、いつのまにかもう1つの受け止め方「競争がないとみんな怠けて国が潰れるものだ」とか「きれいな理想を掲げても、現実はうまくいかないものだ」という風に変わって行きました。

 そうではなく、体制の根幹に関わる箇所に、どうしてもうまくいかなるところがあったことをお話します。「ソ連型システム」とは、ある程度以上の規模の企業は原則すべて国有にして、国の中央からの指令に従って生産する経済の仕組みを指しています。

 「ソ連では競争がなかったからみんな怠けた」は間違いで、子どもたちの受験競争は激しかったし、大人の出世競争も激しいものでした。では、ソ連型システムが崩壊した一番の理由はなんだったのでしょうか。それには、コルナイ・ヤーノシュ(ハンガリーの経済学者)のソ連分析が参考になります。

 コルナイはソ連型経済システムの特徴を「慢性的な不足経済」としています。労働力も生産物資も消費財も、いつもどれも足りない経済ということです。発展途上国と違って、決して生産力が足りないわけではないのに、不足が不足を生んで再生産される「均衡」に陥ったということです。その原因として3つ挙げています。

 1つ目は「投資渇望と拡張ドライブ」、要するに、企業が機械や工場に設備投資して、生産規模を拡大していくことに歯止めがかからなかったわけです。

 2つ目は、「量志向とため込み」、企業は原料や部品などの投入資材を倉庫いっぱいにため込もうとしました。

 3つ目は、「輸出ドライブ」、ともかくたくさんの量を輸出しようとしました。

 なぜ、このようなことをしたのでしょうか。それは、中央政府から突発的な生産ノルマが降りてきても、支障なく超過達成して、ご褒美のボーナスをもらいたかったからです。

 では、なぜこのようなことができたのでしょうか。それは「リスク・決定・責任」が一致していなかったためです。つまり、設備投資の決定をする人が、その決定が失敗するリスクを負う必要がなかったということです。国有企業だから、失敗しても潰れないし、自腹で責任を負うことがありません。赤字になれば、製品価格の引き上げが認められたり、国のお金が突っ込まれたり、免税されたり、銀行から融資されたりしたのです。

 もちろん、民間企業でも、「リスク・決定・責任」が一致していなければ、同じ批判が当てはまることは、いうまでもありません。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
松尾 匡(まつお・ただす)

 1964年、石川県生まれ。87年金沢大学卒業。92年、神戸大学大学院経済研究科博士後期課程修了。久留米大学経済学部教授を経て、2008年より立命館大学経済学部教授。専門は理論経済学。07年論文「商人道!」により、第3回「河上肇賞奨励賞」を受賞。主な著書に『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(PHP新書)、『商人道ノスゝメ』(藤原書店)、『図解雑学 マルクス経済学』(ナツメ社)、『新しい左翼入門』(講談社現代新書)、『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)、『自由のジレンマを解く』(PHP新書)など多数。

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