2024年04月19日( 金 )

珠海からの中国リポート(9)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

中国と科学

 現代中国は科学に挑戦しているといわれる。しかし、科学が現代中国に挑戦しているのではないか?結論からいえば、科学は中国に勝てない。

 現代中国が科学に挑戦しているとは、科学の分野でも頭角を現したいと思っているという意味だ。中国の研究者によく聞かれるのは、「どうして日本は多くのノーベル賞を獲得しているのか」である。中国は、もっとノーベル賞が欲しい。

 文系の人間である私は、科学者との日常の付き合いは乏しいが、何人かの医師は知っている。彼らの仕事ぶりを見ていると、なるほど医学も科学なのだと合点させられることが多い。患者を検査し、その結果を分析し、解読し、病因を定め、それに対応する処置をする。処置の結果がよければ解読が正しかったことになり、結果が出なければ、分析結果を見直して別の読み取りを探る。こういう科学的な態度は、見ていて気持ちが良い。

 漢方医学にしてもそうである。日本の漢方医は江戸時代に中国医学批判を開始し、実証主義に移ったという。抽象的な理論にこだわらず、「治ればいい」という実用性に転じたのだそうだ。その場合の科学的精神はどこにあったか。「こういう症例にはこういう措置がいい」というデータを集めたところにある。症例と治療法を組み合わせたデータの蓄積。これが日本的科学の出発点である。

 そうしたやり方にも限界があり、もう一度漢方理論の根本思想を取り込むべきだとの主張ももちろんある。中国で行われ、日本では行われていない鍼法をも取り入れて、和漢療法の総合に至った長尾良一氏などはその一例である。氏の場合、自らの治療体験を西洋医学と結び付けて理解しようとする試みまで行っている。中国医学と西洋医学の交通をもくろむその精神にも、科学的と呼んでよい姿勢が見える。

 さて、冒頭で「中国は科学に勝つ」と述べたが、もちろん皮肉のつもりである。それほどに中国的知性は科学に向かない、と言いたかったのだ。あるとき中山大学にアメリカの言語学者がきて講演をしたそうだが、そのとき聴衆の1人が「私たちが中国語を使っているかぎり科学は発達しません」と科学の未発達を中国語のせいにしたという。なるほど、中国語は名詞と名詞を接合して文を構築する傾向があるから、語と語のあいだの論理関係が曖昧になることは事実だが、過去の中国には偉大な科学の足跡もあることも忘れてはならない。中国語と科学は関係がない、と見るべきだろう。

 では、中国に科学的思考が発達しない原因はなにかというと、前にも述べた暗記主義である。幼児のころから目に見えない世界のことを暗記させられて、その意味もわからないでいる一方、周囲の自然世界を自らの身体で感じ取ることから切り離され、およそ世界に対して鈍感になるのである。人倫の教えは幼児のころからしっかり教えられ、高校や大学の寮生活で磨かれ、立派な社会人が養成されている。これはたしかだ。しかし、他方では、自然界を自ら感受し、その意味を吟味するといった科学的思考は育たないのだ。

 教師の指導に従って互いに協力し合い、勤勉にふるまうことは中国人学生の得意技である。しかし、個々の人間がそれぞれの感性をもって自然界を観察し、その観察結果を持ち寄って検討するという過程がないものだから、教師を信じ、教師のいうことをこまめにメモすることしかできなくなる。そういうことでは、科学にならない。

 そういえば、以前、中国人留学生が提出したレポートを読んで驚いたことがある。丸山真男の文章の丸写しだった。私がその学生にどうして自分の言葉で書かないのかと問いただすと、自分よりはるかに立派な先生の文章を写したほうが、自分で書くより良いと思ったからという。この論理は怠惰を正当化するだけのものと思えたので、それならどうしてレポートに「これは丸山真男先生の文章だ」と断らないのかと尋ねた。すると、素直に「すみません」と頭を下げるのである。つまり、他人の文章を丸写しにしたこと自体は悪くないが、その丸写しにしたことを隠したことについては反省している、というのであった。

 だが、そこで問題なのは著作権侵害ではなく、自分の頭で考えるかわりに権威ある人に考えてもらうことで満足してしまうという怠慢の精神である。これでは科学が進まないどころか、どこからかインプットされた思想を自らの思想として語ってしまう人間を多数生み出すことになり、国家にとっては一見便利であっても、長い目で見れば害となるのである。

 中国語でコンピューターを「電脳」というが、1人ひとりの脳が電子化され、国家の情報受信装置となることを先取りした表現のようにも思える。日本ではLineが幅を利かせているが、これに相当するのがWeChat。たいていの中国人は、レストランの支払いも買物もこれで済ませる。そのWeChatには毎日国家主席のメッセージが入ってくる。中国はまさに「電脳社会」。そう言ってよいのではないか。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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