2024年04月19日( 金 )

珠海からの中国リポート(7)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

公衆道徳と人倫

 路上に大きな音を立てて痰を吐き、平然と歩き続ける中国人。これを見て「公徳心の欠如」と非難することもできよう。道端のゴミ箱に食べ残しを捨てようとして、それが外れて路上に落ちても気にしない中国人。まさに、公徳心が欠けていると言いたくもなる。政府もそうした悪習を「非文明」とし、一掃しようと躍起である。だが人々の「悪習」、そう簡単には「治」らない。

 私の住んでいるマンションは高層ビルで、エレベーターが何台もある。朝の出勤時間はどのエレベーターも満員で、待ってもなかなかやって来ない。やっと乗ると、大きな自転車を持ち込んで周囲をまったく気にしない若い女性が中央に立ちはだかっている。分厚い眼鏡を掛けているから、多分インテリなのだろう。あとで聞いたが、アラビア語の先生だそうだ。

 この先生、傍若無人の権化で、エレベーターが途中階で止まり、ドアが開き、誰かが乗ろうとするのに、身動き1つしない。そういうわけで、誰も乗れないのだ。階下に駐輪場があるのに、どういうわけか毎朝自室から階下へとエレベーターで運び、それに乗って出勤する。

 日本人のN先生はここに十年以上住んでいる。私が上記の苦情を述べると、にやりとしながらこう答えた。「一人っ子政策の産物ですね。周りの人も迷惑顔1つしないでしょ。それぞれ一人っ子ですから、互いにわがままを認め合ってるんです」

 なるほどそうなのかと一応は納得するが、疑問は残る。「でも彼ら、見ず知らずの人にとても親切ですし、恩義を感じたら徹底して返礼しますよ。日本じゃ考えられないほど、礼儀正しいです」

 すると、N先生はきっぱりいう。「この国は礼が生きているんです、儒教が。それに、法治国家ではない、人治国家です。物事の判断基準は法ではなくて、人なんです。国家が厳格な法を定めても、人が運用で何とか融通を利かす。法治国家に慣れた欧米人や日本人には理解しづらいかも知れませんが、これはこれで人間的ですよ」

 確かにそうだ。私が住居を決めるときの話である。私のように「高端人才」として中国に招かれた者はほかの教員のように教員宿舎に住むことは許されない、という規定がある。もっと高級なところに住まねばならないのだ。ところが、私は大学から近いところがいいし、ほかの教員たちとも近づきたい。そういうことを事務の担当者に申し出ると、あっさり了承してくれた。何事も規則ではなく、相談で決まるのである。

 中国人の「礼」は、市バスに乗るとよくわかる。乗るたびに、高齢者であるからといって必ず若い人が席を譲ってくれる。彼らにすれば当然だろうが、頭が下がる。公徳心はなくても、人倫の道は生きている。

 わがままを許しあうといえば、高速鉄道に乗ると、日本と一番違うのは乗客のリラックス度である。子ども連れの家族などは、子どもが車内を走り回っているのを少しも注意しないし、周囲の乗客も何ら迷惑顔をしない。「他人への迷惑」という観念は、ここには存在しないのだ。

 先日、日本からやってきた某大学の先生は、そういう中国を見て思わずこう漏らした。

 「中国って、思ってた以上に自由ですね。政治的にはどうかわからないけれど、子どもを見ればよくわかります。とても伸び伸びしているんです。日本なんか、僕みたいな子持ちにとっては、とても住みにくくなってる。図書館に連れていく、美術館に連れていく、そういうことが出来にくくなってるんです。子どもは騒ぐだろう、子どもはいたずらをするだろう、そういう迷惑な存在としてしか見られない。公共の場での子ども連れは、無言のプレッシャーを感じるんです」

 珠海在住の日本人・N先生に再び会った。「そういえば、この前言い忘れていたことがあります。中国の若者は、日本に比べるとよほどに社会性がある。見ず知らずの人間と共存でき、しかも自己主張もできるんです。これは何からきていると思います?寮生活ですよ、寮生活」

 なるほど、中国では高校生のころから寮生活をしている者が多い。大学生は全員が寮に住む。4人から6人、同じ1つの部屋で生活するのだ。社会性が育つのも当然である。日本の若者とは雲泥の差だ。

 だが、それでも、と私は思った。それほど社会性があるのなら、どうして公徳心は向上しないのか。学生食堂も、食べ終わった後の残りかすがそのままテーブルに散らかり、誰1人それをきれにしようとしない。この感覚だけはどうもいただけない。公徳心の欠如と社会性の発達。不潔を気にしないが、困っている人を見ればすぐ助ける。どうも、理解に苦しむ。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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