2024年04月26日( 金 )

珠海からの中国リポート(6)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

開発と不衛生

 「中国は開発途上国」とは、しばしば中国人が口にする言葉だ。「日進月歩」とはまさにこの国に当てはまる表現で、毎年中国の同じ町を訪れる日本人は、来るたびに風景が一変しているのに驚く。「開発」は秒単位で進んでいるのだ。

 珠海の町には美しい海岸が広がっているが、2年前にはごつごつした岩しかなかったという。今や一大リゾート地の風貌を備え、アジアのどの海岸にも劣らぬ海浜公園が広がっており、ところどころにきれいなカフェまである。

 コーヒーの味もなかなかによく、聞いてみれば、香港発のチェーン店が進出しているという。世界的な都市・広州のおひざ元にあり、香港とマカオにつながる橋まであるのだから、珠海は地理的に極めて恵まれているといえる。

 数年前までは、どのホテルの水洗便所でも、トイレットペーパーは流せなかったそうだ。ところが、今ではどこでも流せるようになっている。洋式トイレも急増し、和式トイレはいずれ姿を消すだろう。

 しかし、開発がいくら進んだとしても、長年の生活習慣が大きく変わるわけがない。当然といえば当然のことだが、唖然とすることもしばしばある。

 たとえば、「人才公寓」と名づけられた教員宿舎に入居する前日、下見に行って部屋に足を踏み入れたその瞬間、あまりの不潔さに愕然とした。前の住人は掃除もせずに退居し、部屋中がゴミと髪の毛の山なのである。

 ところが、担当者に聞くと、これが当たり前だという。「飛ぶ鳥跡を濁さず」は、ここには存在しないのだ。退居者のみならず、仲介業者にも「清潔」という観念がない。「開発」は進んでも、「清潔」と「衛生」は浸透していないのだ。

 マンションの下の中庭は手入れが行き届き、美しい樹木に草花と申し分ない。ところが、酒に酔った住人がそこに平気で汚物を吐く。しかも、吐いた後そのまま立ち去ってしまうのだ。周囲を見ると、みな当たり前といった表情。「大学教員の宿舎がこうならば、ほかのところではもっとひどかろう」と思ってしまう。

 私の階の廊下には犬の糞が二度ほど落ちていた。誰も気に留めないのか、私が気に留める唯一の人間なのか。即刻管理会社に連絡し、清掃員を呼んで片付けてもらった。日本であれば「異常者」のすることであるが、はたして「犯人」は異常者なのか。いまだ、突き止めていない。

 数年前に雲南省を旅した時、美しい山野を車でドライブしていて、美しいはずの湖水一面にプラスチックのごみ袋が浮かんでるのを見て愕然としたことがある。いくら「開発途上」でゆとりがないとはいえ、ゴミ処理については何とかならないものかと思う。

 先に述べた珠海の海岸だが、夏の暑い時でも海水浴客はほとんどいないという。中国には海水浴の習慣がないのだという説明もあるが、ここに長く住むドイツ人によると、「あの海水じゃ泳げない。汚染度がひどすぎる。広州から珠江を流れてくる汚物がたまりにたまってるんだ」ということだ。さもありなん、である。

 以上、このように中国の不潔・不衛生を並べてきたが、中国のために弁護を試みてみようと思う。まず、巨大な国での「開発」はすべての面には行きわたらないというのがある。次に、日進月歩の中国だから、数年後にはこの問題も解決するのではないか、という希望的観測も成り立つ。さらには、清潔になった暁、この国に今あるような活力が残っているだろうかという疑問も生ずるのである。

 なんとなれば、世界でも有数の清潔な国となった現在の日本社会には、活力がまったく見られない。日本は明治になって衛生学をドイツから取り入れ、衛生学は優生学とならんで国民国家形成の切り札となった。しかし、その過程でさまざまな社会的「汚物」が排除され、それとともにエネルギーも消失したのである。ドイツでは清潔主義がナチズムの温床にもなった。つまるところ、衛生は不潔を排除し、清潔を求めるために、市民の健康が保たれるまではいいが、マニアックになれば非人間性を生み出す。

 中国の不潔のほうが日本の清潔より良いなどというつもりはさらさらない。しかし、「不潔」とは人間の自然な部分が生み出すものだということを忘れてはなるまい。中国から日本へと旅する多くの人が日本の清潔さに感心し、「日本を見習え」と口々にいう。しかし、そういう彼らも、帰国すれば平気であちこちにゴミくずを捨てる。

 つまり、彼らの生活習慣は不潔を許容し、中年の男性がレストランで痰を吐いても誰もとがめない。しかも、これに驚くのは、日本人よりも西洋人なのである。ということは、日本人の感性もだいぶ西洋化しているということかもしれない。明治初年の日本人の生活習慣が西洋人の目にどう映ったかを探ってみたくなる。

 日本人は人目を気にする性格なので、西洋人が顔をしかめるとあわてて自己修正しようとする。そのような気配は、中国のどこを見ても見当たらない。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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