2024年04月25日( 木 )

【深層追及】10年前に出た最高裁無罪判決が民事訴訟で否定

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 最高裁で出た無罪判決が民事訴訟で否定される――そんな異例の事態が広島の裁判所で起きた。その民事訴訟では、最高裁で無罪とされた女性に対して有罪を宣告したに等しい事実認定がなされたばかりか、審理中に暴力団がらみの不穏な話が浮上していた。

 

広島地裁・高裁
広島地裁・高裁

■少し変わった「無罪」判決

 今から10年前の2009年7月、最高裁で少し変わった無罪判決が出たことがあった。

 被告人は、夫と2人で不動産業を営んでいた高齢の女性。その女性は、同業他社の社員たちから度重なる嫌がらせをうけた末、やむにやまれず相手の胸を押したところ、相手が転倒し、傷害罪で逮捕されたという。しかし、裁判では1、2審ともに有罪とされながら、最高裁で正当防衛の成立が認められ、無罪とされたのだ。

 正当防衛は通常、暴行などに対する反撃において認められるが、直接の危害を受けていない場合に適用されるのは異例だ。そもそも、最高裁で無罪判決が出ること自体が年に1、2件あるかというほど珍しく、二重の意味でも異例の判決だった。

 ところが、だ。事件のその後を取材したところ、この女性が「被害者」側の会社などを相手取って起こした民事訴訟で、女性を「有罪」と認定したに等しい判決が出ていたことがわかった。

■被害者が悪者のような印象

 最高裁の無罪判決に基づき、まずは事件の概要を紹介したい。

 事件は2006年12月、JR広島駅からそう遠くない住宅街で起きた。ある建物の持ち分を2分の1ずつ有する不動産会社のX社とY社が、かねてより建物の権利をめぐってトラブルになっており、それが高じて起きた事件だった。

 逮捕されたのは、X社の代表取締役の女性A子さん(当時74歳)。A子さんは同年10月頃から夫とともにその建物に居住し、会社の事務所としても使用していたのだが、Y社の男性社員らが「立入禁止」などと書かれた看板を建物の壁に設置しようとした。A子さんはこれを阻止すべく、Y社社員の胸を両手で約10回押して転倒させ、加療1週間を要するケガをさせたのだ。

 A子さんは「そんな暴行はしていない」と無実を主張したが、1審・広島地裁では、傷害罪の成立が認められて罰金15万円、2審・広島高裁では、暴行罪が適用されて科料9,900円の判決を受けた。そして最高裁も事実関係についてはA子さんの主張を退けたが、正当防衛の成立を認め、無罪を宣告したのだ。

 暴行などに対する反撃ではないのに、なぜ、正当防衛と認められたのか。判決によると、事件前、「被害者」のY社社員らはA子さんに対し、財産権などを侵害する行為を繰り返していたという。たとえば、A子さんらが事件前、業者に建物の改修工事をしてもらっていたところ、Y社の社員らは建物に取り付けられたサッシのガラス10枚を割ったり、作業員らを威圧したりして工事を中止に追い込んだという。

 最高裁はこれらの事実関係を前提に、Y社社員らが建物に看板を取り付けようとした行為について、X社の業務などに対する「急迫不正の侵害」にあたると認定。A子さんが身長149センチと小柄で、右上肢や左肩関節に運動障害があることなどから、暴行は軽微なものだったと認め、「防衛手段としての相当性の範囲を超えない」と判断したのだ。

 以上が、最高裁の無罪判決で示された事実関係だ。これを見れば、被害者のY社社員が悪者で、加害者のA子さんが「正義のおばあさん」のような印象だ。

 だが、先述したようにこの最高裁の無罪判決は、その後の民事訴訟で否定されるのだ。

■最高裁無罪判決の認定をことごとく否定

 A子さんや夫が、Y社やその社長を相手取って広島地裁に提訴したのは、最高裁で無罪判決が出た5カ月後の2009年12月。A子さんらはこの訴訟で、「Y社側の妨害により、建物の改修工事を依頼していた業者が工事を中止し、損害を被った」「Y社社員が虚偽の暴行被害を申告するなどしたため、最高裁で無罪になるまで刑事被告人の立場に置かれた」などと主張。合計で約1億2,600万円の損害賠償などを求めた。

 訴訟の審理は5年あまりにおよんだが、2015年4月、広島地裁で出た判決は、A子さん側の主張の大半を否定する内容だった。損害賠償の請求を認めず、最高裁の無罪判決で認定されていた事実関係もことごとく覆したのだ。

 たとえば、最高裁の無罪判決では、Y社側が建物のサッシのガラス10枚を破損したとされたことについて、広島地裁判決は「事実と認める証拠はない」と事実の存在を否定した。また、最高裁の無罪判決では、A子さんらの依頼で建物の改修工事をしていた作業員らに対し、Y社側が威圧するなどして妨害したとされたが、広島地裁判決は「A子はそう供述するが、裏付けはなく、作業員らの証言に照らすと信用できない」と、これも否定。

 さらにA子さんがY社の社員から「虚偽の暴行被害」を申告されるなどしたと主張している点についても、広島地裁判決は「Y社社員が虚偽の申告をしたと認める証拠はない」「A子が暴行におよんだ事実は認められ、これは刑事事件の判決でも認定されている」として、A子さんの主張を退けた。

 なぜ、こんな結果になったのか。裁判官の心証形成に大きな影響を与えたと思われることが1つある。A子さん側の依頼をうけ、改修工事をした業者の証人尋問だ。

■キーマンは暴力団構成員だった業者

 その業者の証人尋問が行われたのは、2014年9月のこと。この際に明かされた何より重要な事実は、この業者が山口組系暴力団の構成員だったことだ。しかも、A子さんもそのことを知ったうえで、工事を依頼していたという。

 業者によると、A子さんは仕事を依頼する際、Y社について、「共政会(広島市を本拠地とする指定暴力団)がらみの地上げ屋で、かなり悪どいことをやっている不動産屋」だと説明し、「嫌がらせをしてくるかもしれない」と言っていたという。しかし、業者が改修工事を始めたところ、Y社社員が工事の中止を求めてきたが、その声は小さく、「工事をやめてくださいませんか」という丁寧な言い方だったという。

 また、業者によると、A子さんから工事を依頼された際、建物について「9%は他人名義になっている」と聞かされていたが、Y社社員から「うちが持ち分の2分の1を有している」と説明され、謄本を見せてもらうと、実際にその通りだった。そのため、「このまま工事を続けたら、自分がY社に損害賠償を請求されてしまう」と悩んだ末、工事をやめると決め、Y社に「立入禁止」などと書かれた看板の設置を認めたのだという。

 最高裁の無罪判決では、Y社が建物に看板を取り付けようした行為をX社の業務などに対する「急迫不正の侵害」と認定し、A子さんがY社社員の胸を押したことを「正当防衛」と認めていた。しかし、広島地裁判決はこの業者の証言に基づき、「Y社が無断で看板を設置したとは認められない」と判断した。つまり、A子さんの暴行が正当防衛だったことも否定されたのだ。

 ちなみに、A子さんはこの訴訟で、「改修工事を依頼した業者に1,500万円の工事料を支払っていた」と述べ、その工事がY社の妨害で中止になって損害を被ったと主張していたが、業者はこの1,500万円を「受け取っていない」と証言している。

 業者の証言を全部鵜呑みにするわけにもいかないが、判決ではこの業者の証言が事実認定にかなり生かされているのはたしかだ。

 なお、A子さんらはこの敗訴を不服として控訴したが、2017年3月に広島高裁でY社側と「今後、お互いを誹謗中傷する行為を一切しない」などの条件で和解が成立している。

 筆者は両者の言い分を聞こうと取材に動いたが、X社に電話したところ、A子さんの娘さんが出て、A子さんが昨年、亡くなったことを告げられた。娘さんは「母は手を出していないのに、手を出したことにされて逮捕、起訴され、正当防衛という結論になったと聞いています」と話し、A子さんが亡くなったのを知らずに連絡してきたことなどを批判。最後は「本人が亡くなって、泥をかけるような記事なんか書かれたらかなわんからね」と言って電話を切った。

 一方、Y社側は「こちらは間違った主張を1つもしていません。(民事訴訟で)主張が認められたのは当然です」とコメントした。

 日本の裁判は三審制で、最高裁が最終審だ。しかし、最高裁の判決が出た事件について、その後に異なる司法判断が示されることもあるのだ。

【片岡 健】

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