2024年04月25日( 木 )

珠海からの中国リポート(11)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

大国と小国

 前々から知っている日本人のM先生が広州から遊びにきた。広州は港湾都市だが海岸がない。海辺を歩きたいというのだ。新興リゾート地を目指す珠海には美しい海岸があり、海岸沿いは緑地の公園になっている。自転車用道路のほか、遊歩道が数kmにわたって施されており、大都会からきてリラックスしたいと思う人にはうってつけである。

 遊歩道を海風に吹かれて歩いているとき、ふとM先生はこう漏らす。「いやあ、癒されますね」

 詮索好きな私は、すかさず尋ねる。「広州、疲れますか?」「いや、都会は疲れますよ。人は多いし、車も多い。活気があるとはいえ、時には静かに風を感じたいんですね」

 M先生も私もコーヒーを飲みたくなった。海浜公園にはいくつもの洒落たコーヒーハウスがある。その1つに入っていざ注文しようとすると、若い男性のウェイターが近づいてきて「日本人ですね?」とにこやかに笑う。驚いて「日本語ができるの?」と尋ねると、1年間名古屋に住んだことがあるという。どういう理由かは尋ねなかったが、気持ちの良い青年の応対に、つい嬉しくなった。

 テラスに出て風を仰ぎながらコーヒーをすすっていると、「あそこに見えるのが香港とマカオを結ぶ橋ですね?」とM先生。海上をまたぐその長い橋は、午後の陽を受けて白い一本の線になって輝いていた。

 M先生は景色に夢中だったが、私としてはこの人物をもっと知りたかった。

 「先生、そもそもどういうきっかけで中国へ?」

 「あれは98年ですかね、天安門事件の少し後でした。あちこちに警官が立っている北京に留学したんです。中国語は日本でも勉強してましたが、もともと中国の歴史が好きだったのと、井上靖の小説なんかでシルクロードに興味があった。そういうわけで、北京に3年もとどまったんです。その間に現在の妻と出会った。彼女は当時は美術学校に通っていたんですが、出身が広州。それで広州まで下って彼女の両親に会い、そこで式を挙げたというわけです」

 「では、その後日本に帰ってないんですか?」「いや、そんなことありません。妻にも日本を知ってもらいたいと思い、故郷の岡山にも連れて行って、そこで4年間住んだ。妻は日本語を覚え、私の両親とも会話ができるようになり、これはいいことをしたと今でも思っています」

 「で、その後中国に戻ったんですね」「最初は北京に戻りました。3年ほどいたんですが、その間に私、中国人に日本語を教える技術を身につけた。しかし、資格がない人間に就職口はない。そこで日本にもう一度帰って、日本語教員の資格をとったんです。そして今度は妻の故郷広州に。北京に慣れていたから、暑さと湿気に最初は閉口しましたね。しかし、住んでみれば断然広州のほうが良い。人が優しいし、料理がおいしいです。北京人は首都だといばってますし、上海人は西洋かぶれ。それに比べると、広州人は真の国際人ですよ。どの国の人間も受け入れる素地がある」

 ここまで聞いて、つねづね思ってきたことをたしかめたくなった。「中国人と日本人、どこが一番ちがうと思いますか?」

 M先生は微笑んだ。そして、少し間をあけてこう言った。

 「中国では日本人のことを小人というんですが、これは心の狭さ、視野の狭さを言ってるんですね。日本人は自分の属する集団のなかで生きているので、視野が狭くなるわけだし、人間の普遍的な部分というか、そういうものに鈍感になる。一方、中国人は人間とはなにかいうことを古代からずっと意識してきたから、悪い奴は徹底的に悪くなりますけれども、善人は善を超えて天の声を聞いているわけなんです。大人が育つんですよ」

 なるほど、田中角栄が日中国交回復のために周恩来と会談したときに感じられたのは、小人と大人のちがいであった。中国は戦時の賠償金を要求しないのだという周恩来の言葉に、それがはっきり感じられた。このちがいは、国土の面積の差か。いや、歴史的要因のほうが大きいにちがいない。日本は島国で、異民族の侵入に悩まされ続けてきた中国に比べれば苦労が少ない。だから日本人には純真な部分があるけれども、自分の想定外のことが起こると対処しきれない弱さももっているのだ。

 「M先生、じゃあ、こちらのほうが先生に合ってますか?」そう聞くと、「そうはいえません」と返ってきた。「自分でいうのも変ですが、私はこちらにきて人間が大きくなったとは思います。しかし、日本には日本のいいところがあるんで、それを失いたくはありませんね」

 どんな質問にも落ち着いて答えるM先生。心から尊敬できる人物の1人である。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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