2024年03月29日( 金 )

日中ビジネス交渉人・徐静波の日本企業へのメッセージ~『中国経済新聞』創刊300号

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 この11月で、『中国経済新聞』が第300号を迎えた。そして創刊から19年目に突入している。2000年に設立したアジア通信社は、当初は中国語で日本のニュースを報道するネットメディア「日本ニュースサイト」であったが、わずか1年でITバブル崩壊のあおりを受け、持続が困難になった。この時、アジア通信社も存亡の危機に立たされた。

 さあどうするか、と考えた私が思いついたのは新聞だった。当時、日本企業の中国進出は初期段階であり、日本のメディアも中国経済についてほとんど報道していなかった。そこで、日本企業に中国経済の情報を伝える新聞を発行しようと考えたのである。

 中国人が日本語の新聞を作るのは並大抵のことではなかった。まず日本語がおぼつかないので、日本人の社員を雇わざるを得ず、当然費用も掛かってしまう。

 そんな中、はるかに年長ながら付き合いのあった日本食糧新聞の会長が、私の事務所を訪れてこう言った。「新聞やるって?手元にいくらあるの?」。全部で10万円しかない、と答えると、「3億なかったら絶対無理だね」と笑いながら言った。

 会長が自ら立ち上げたその日本食糧新聞であるが、当初は売り込みのため自転車を押して一軒一軒家を訪ね、1円でも節約しようと、空腹で目が回ってもおにぎりすら買わなかったという。

そこで私は、目的は金稼ぎではなく、日本の企業に少しでも中国経済の真実を知ってもらいたいからだ、と言った。説得しきれなかった会長は怒って帰ってしまった。その後ろ姿はいまだに覚えている。

 『中国経済新聞』の創刊号は、数人の日本の友人とともに執筆し、翻訳し、仕上げたもので、彼らに1円の報酬もやれなかったのだ。

 版下が完成し、いくつかの印刷会社に連絡したが、すべて印刷代を前払いするように言われた。20数万円の印刷代は当時の私には天文学的な数字だった。結局、業界の先輩の紹介により、千葉市の小さな店を見つけ、印刷代を3カ月間待てるかと社長に相談した。70歳を過ぎていた社長は真剣に私の願いを聞き、「中国人が日本で頑張るのは大変。何とかしてあげよう」と言った。そして3カ月の猶予をくれたのだった。

 後に知ったのだが、その社長は昔、戦争で中国に行ったのだという。

 新聞の発行後、名刺交換した日本人すべてに手紙を書き、新聞を送り、購読を求めた。この願いに応えて最初の読者となったのは98人。今でもよく覚えている。そのうちの1人は静岡県にある私立学校の理事長で、その後、今から3年前に亡くなるまで16年間も読んでくれたのである。亡くなったので購読をやめる、との手紙を夫人から受け取った時には、涙がこぼれてしまった。

 創刊から19年の歳月が流れた『中国経済新聞』、苦労をしながら、今なお主流メディアにはなっておらず、広告の大幅な減少により半月単位だった発行回数が月刊になってしまった。しかし編集部の仲間たちは相変わらず頑張って職務を続けており、中国経済の情報を少しでも多く伝え、中日両国の経済協力を拡大するために、そして中日友好のために微力ながら力添えをしている。

 『中国経済新聞』創刊300号。ご愛読いただいている読者の皆様、そして記事の執筆者に改めて感謝する。これからも一層努力するので、引き続きご支援を願いたい。


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<連絡先>
■(株)アジア通信社
所在地:107-0052 東京都港区赤坂9-1-7
TEL:03-5413-7010
FAX:03-5413-0308
E-mail:china@asiahp.net
URL:http://china-keizai-shinbun.com

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