2024年04月25日( 木 )

珠海からの中国リポート(15)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

日韓関係の将来

 日韓関係はこじれっぱなしだが、両国はこれを楽しんでいるのではないのかと思うことがある。切っても切れない関係の兄弟が、意地を張って「自分のほうがエライんだ」と強がり合戦をしているように見える。深刻なようで、実は滑稽な「茶番劇」なのではないか?

 30年も前、新宿のカフェでまだ元気だったM叔父と会ったことがある。そのとき叔父は韓国の女性を連れていた。その女性は30歳くらいだったか。顔が百済観音みたいだったので、日本文化の故郷は朝鮮半島だったのかと漠然と感じたものだ。

 柔和で、静寂で、奥ゆかしい。陰のあるその表情の奥には、決して消えない情熱の炎がある。大声でわめく韓国女性はテレビドラマでよく見かけるが、その向こうにこういう静謐の美があるのだ。こういう女性のいる国は、日本人にとっては大切なはずなのに、そのことを日本人はなかなか悟ろうとしない。

 つい最近、珠海から飛行機で2時間の杭州に行った。それと日韓関係とどう関係あるのかといえば、そこで韓国からの留学生C君と出会ったからだ。そのC君に、私は日韓関係のあるべき未来を感じた。

 若干23歳の彼は日本在住期間わずか3カ月というのに、極めて見事な日本語を操っていた。マンガ本で覚えたというが、にわかに信じがたい。そういう彼がどうして中国の大学にいるかといえば、日本の大学を受験して失敗したからだという。「で、中国では何を勉強しているの?」と聞くと、「中国古典文献学」、つまり漢籍の研究だという。

 「なんのために?」と聞くと、「韓国や日本の古典を理解するには中国の古典を理解する必要があるから」という。何の力みもなく、事もなげにそれをいえるこの若者に、私は感服してしまった。

 こんな若者は韓国でも稀であるに違いないと思っていた矢先、もう1人稀な青年と出会った。今度は日本人である。2人とは別々に会ったのに、それがほとんど同時であったことに因縁めいたものを感じた。

 その青年はH君といって、日本では大学院で中国の書の研究をしていたが、どうしても本場で書の伝統を見極めたくなって中国にきたのだという。名門である浙江大学大学院に入るには中国語の試験と書道の実技と書の歴史に関する試験があったそうだが、この分野での留学生が珍しいこともあって、比較的楽に入れたという。

 「書の研究」と言われてもピンと来なかった私は、「つまり、どういうことをするの?」と聞くと、極めて簡潔に「甲骨文字の研究です」という。「甲骨文字?それって、うんと古い時代のでしょ?」「ええ、僕は古いものが好きなんです。そういう時代の文字を彫り込んで印鑑をつくる。これを趣味にしています」

 これが21世紀の日本の若者かと思うと、そばにいて不思議な気がした。まるで、別の宇宙から舞い降りてきた生き物のように思えたのだ。顔をのぞき込むと、繊細そうでありながら眼がらんらんと輝いている。おそるおそる、「どうして古い時代のものが好きなの?」と尋ねると、これもきっぱりとした答えだった。「古いものは、それだけ神様に近いから」

 何もいえなくなった私は、そのまま彼を離れた。こういう人間はそのままにしておけばいいと思ったのだ。

 晩になって、どうしてもその彼を韓国のC君に引き合わせたくなった。早速2人と連絡をとり、30分後に3人で近くのカフェに入った。

 「君たち2人とも自分たちの伝統文化を理解するために中国にきてるんだね」と私がもちかけると、C君は「僕は昔のものは、それを実感しなければ消え去ってしまうと思ってるんです。博物館に行ったって、陳列品を昔の生活のなかに置いてみて実感する。それがなければ、伝統はただの言葉です」と答えた。

 一方のH君は、はじめは押し黙っていたが、やがて口を開くと、こんなことを言った。「僕は毎晩寝る前に万葉集を読むんです。古い言葉を感じたいから」

 なるほど、この青年はいわゆる「言霊」に敏感なのだ。その感受性が21世紀の日本にも残っていて、その持ち主が日本を離れてこうして中国にいる。これは偶然なのか、それとも必然か。

 「僕は日本では変人に過ぎませんから、ここにきて息をついてるんです」

 そういうH君の言葉に、C君はうなずいた。「どうせ生まれたからには、好きなように生きないといけないと思って、いまここにいるんです。朝鮮半島は北と南に分断されているけど、それ以上に悲劇なのは、若者が伝統文化から切り離されていることではないですか。でも、伝統を実感することは不可能ではない。そう思って勉強しています」

 H君もこれに納得したようだった。「また会って一緒に呑もう」、そう言って2人は別れた。その晩、私はいつも以上に興奮して寝つけなかった。日韓関係の将来は必ずしも暗いものではない、そう思えたのだ。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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