2024年04月19日( 金 )

魅力、所得、認知度アップへ「ブランド糸島」次の展開とは(前)

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糸島市長 月形 祐二 氏

 糸島市は2020年1月1日、市制施行10周年を迎える。この10年の間に「糸島」の名は、東京を始めとする関東圏でも知られるようになった。確立された糸島というブランドは、着実に市民に豊かさの実感をもたらし始めている。

減少から一転、ブランド化で人口増へ

 ――これまでの10年を振り返ったとき、「糸島」のブランド化に最も大きな役割をはたした出来事は何だったと考えられますか。

戸建型宿泊施設「-Rakuten-STAY-HOUSE-×-WILL-STYLE糸島-」
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 月形市長 やはり1市2町の合併による糸島市の誕生です。2005年から始まった九州大学の統合移転、07年のJA糸島による産直市場「伊都菜彩」の開業など、糸島が注目される機会はそれまでにもありました。しかし、前原市、二丈町、志摩町の3つに分かれていた地域が市として1つになることで、種類が豊富で質の高い農水産物やロマンあふれる歴史、美しい景観が生み出す観光名所など、それぞれの強みが「糸島」という名前のもとに凝縮され、これにより主に福岡都市圏に対して「糸島には良いものがたくさんある」「これも糸島のものだったんだ」という意識付けが一気に進んだと感じます。

 市でも糸島市誕生を好機と捉え、糸島の認知度向上に取り組み、市民や関係団体との連携によるさまざまなシナジー効果を生み出してきました。

 ――人口も増加基調で推移し、10万人を突破しました。

 月形市長 2010年に糸島市が誕生し、活気がもたらされましたが、人口は減少が続いており、2020年を迎えるころには市の人口が9万7,000人を割り込むという予測もありました。

岐志漁港の牡蠣小屋
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 糸島のブランド化をはたすことで、糸島の認知度向上、生産者を始めとする市で働く方の所得向上、そして、市民の皆さまに「こんなすばらしいまちに住んでいたんだ」と糸島の魅力を再認識してもらうこと―。この3つの目標を達成し、「糸島で生活する」ということを選択肢に入れてもらう必要があったのです。糸島がブランド化することで、進学や就職で一度は糸島から出て行ってしまった人にも、改めて自分が生まれ育った故郷の良さに気付いてもらえますし、帰って来るきっかけにもなるはずだからです。

 目標達成に向けて市一丸となって注力した結果、人口は16年から増加に転じ、現在では10万1,778人(糸島市公表『住民基本台帳人口』令和元年11月末現在参照)となりました。20年の目標として掲げていた10万2,000人に、もう少しで手が届く状況です。

(つづく)
【代 源太朗】

<プロフィール>
月形 祐二 (つきがた・ゆうじ)

 1958年6月生まれ。糸島郡志摩町桜井(現・糸島市志摩桜井)出身。西南学院高等学校、西南学院大学法学部を卒業後、(株)モリタに入社。その後、86年から2002年11月まで衆議院議員太田誠一氏の秘書を務め、03年4月の福岡県議会議員選挙で初当選し、福岡県議会議員を3期10年務めた。14年2月に糸島市長に初当選し、現在2期目。

(後)

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