2024年04月19日( 金 )

「九州のオチ」から「日本のオチ」へ 次の飛躍戦略の手は何か!

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

OCHIホールディングス(株)

 越智産業からOCHIホールディングスに持株を移転させて11年。現在の売上規模は1,000億円を突破して業界4位をキープしている(社員総数1,200人を超える)。だが誇るべきは収益面で、1位を維持。業界は1996年から98年にかけて丸吉(現・ジューテックホールディングス)が暴れまくっていた。この業界激変に巧妙な戦略展開で事業拡大を図った越智通広社長の秘策を読み取ろう。

丸吉の拡大路線が業界再編のスタート

 越智通広社長がOCHIホールディングスグループ中核企業の越智産業の社長に就任したのは1991年6月、34歳のことである。早稲田大学を卒業して福岡銀行に入行後、越智産業に入社した。社長就任時期は平成初頭のバブル絶頂きからバブルが破裂した時期であった。得意先からも事業継承の相談の打診がなされるケースが増え始めていた。

 この曲がり角の波動を受けて96年8月に越智産業を福岡証券取引所へ上場させた。社長としての決断、初めてのビッグな仕事であった。この上場への道程を見ても戦略眼に長けて中期スパンで戦略を詰めていく手堅い経営者であることがわかる。

 しかし、ここ1番での決断力もまた卓越している。冒頭につけた見出し=丸吉(現・JKホールディングス)の拡大路線が業界再編戦争の火ぶたを切って落としたのだ。丸吉も同じ96年に東京証券取引所に上場している。

 この96年から98年の2年間で木質建材業界は大激変時代を迎える。現在の4社勢力関係の基礎が築かれた。もちろん、総合商社系列の木質建材商社の統合も進んだ。当然、流通形態も変化した。この丸吉の「仁義なき拡大路線」は九州の越智産業の基盤切り崩しに発展したのだ。越智社長も黙って指を咥えていても始まらない。攻勢に転ずる機会を待ったというよりも用意周到に準備を進めた。

「九州のオチ」から「日本のオチ」へ

 まずは(1)「九州のオチ」というホームグラウンドを固めながら、この市場から外部へ進撃する戦略構築が核心である。さらに(2)木質建材領域に付随する業界への進出、(3)その拡大戦略を担う組織づくりを進め、人材をいかに輩出するかという観点で、総合商社系列の木質商社・メーカーから人材をスカウトした。従来の伝統的な「越智商店」的社内風土の変革に着手したのである。

 まずは九州の基盤の固め策としては、得意先から事業継承の相談が相次いだため、その要望に応えた。従来の得意先への深掘り策は功を奏した。それとともに、九州から本州への拡大政策にかじを切った。それにはM&Aの策しかない。まず、ありがたいことに90年9月、四国新建材センター買収の蓄積がある。ここで触れておくと、同社のM&Aの場合は、先方からの打診や依頼が大半である。それだけの信頼が高いという証明であろう。

 さらに短期間に東北・北海道まで販路を確立させた。木質建材周辺の小売業種も手がけるようになってきた。この拡大路線に踏み出した後半期には、景気浮揚対策として住宅振興策が打たれたこともあり、売上自体は着実に伸展した。その結果、OCHIホールディングスとして1,000億円企業に変貌して業界4位にランクインするまでになった。こうして、2014年11月に東京証券取引所1部に上場をはたした越智社長の経営手腕は「見事、あっぱれ!」と評価される。

次のさらなる飛躍策は「別次元」へ

 次世代への飛躍戦略の構築は、これまた難しい。(1)1,000億円の売上に占める越智産業の貢献度が60%。商品構成では木質関連が80%、地域エリアで九州分が50%となる。九州を超えるという目標は達成してはいる。(2)ところが今後が問題だ。住宅着工件数は減る。「リニューアル市場は増える」という説もあるが、木質関連の80%依存体質改革は必要不可欠であろう。

 確かに東京・関東におけるシェアが低いこともあり、この地区でのM&A促進策をとるのも一策かもしれないが、決定打にはならない。木質周辺事業の強化も考えられる。「社会が大激変する、流通システムが根本から変革される」という認識のうえに別次元の策が求められるだろう。越智社長の次なる経営戦略とさらなる布石が楽しみである。

木質建材商社大手4社の財務比較対象

◎1位=JKホールディングス~業界のトップランナー

https://www.data-max.co.jp/files/article/20200120-ochi-04.jpg
※クリックで拡大

 1949年に丸吉商店設立、96年に東京証券取引所2部へ上場。98年、丸吉、興国ハウジングと合併。ここから拡大路線を本格化させる。96年から98年にかけて業界再編の渦が巻き起こった。OCHIホールディングス越智社長も強い刺激を受けて対策を講じた。2003年に東京証券取引所1部へ上場。06年現商号で持株会社へ移行する。業界編成のリーダー役を担ってきた存在である。

◎2位=すてきナイスグループ~なかなか定まらない戦略

https://www.data-max.co.jp/files/article/20200120-ochi-03.jpg
※クリックで拡大

 1950年、市売木材設立。名前の通り木材市場を展開して卸売。71年、日榮住宅資材に商号変更してマンション事業に乗り出す。ここがほかの3社と違うところ。上場は早く、71年に名古屋証券取引所2部に上場、73年に東京・名古屋1部に上場。日榮不動産、ナイス日榮を経てナイスへ商号変更。2007年に持株会社へ移行。多角化の戦略が定まらない。

◎3位=ジューテックホールディングス~動きは後手であるが手堅い経営手法

https://www.data-max.co.jp/files/article/20200120-ochi-02.jpg
※クリックで拡大

 もともと日本べニアとして卸売の基盤を築いていた。ほかの3社と比較すると業界大再編には後手となった。2002年10月、日本べニアと丸長産業が合併してジューテックとなる。そこからM&Aの道を踏み出す。09年10月、同商号でジャスダック証券取引所(現・東京証券取引所JASDAQスタンダード)に上場。17年9月、東京証券取引所1部へ昇格。

◎4位=OCHIホールディングス~収益面では2位、手堅い経営貫徹

https://www.data-max.co.jp/files/article/20200120-ochi-01.jpg
※クリックで拡大

 先代が1955年に個人で創業、58年に株式化し、70年に越智産業に商号変更。90年9月、初めてのM&Aで四国新建材センターを買収して四国に進出。96年8月、福岡証券取引所上場。激変の嵐の渦中で的確な選択を行う。

 2010年5月、OCHIホールディングスを設立して越智産業の単独株主移転を行う。同10月、福岡証券取引所へ上場。13年11月東京2部、14年11月同1部へ昇格。収益面では第2位。

 トップのJKホールディングスとは19年3月期売上では3.5倍の開きがあるが、当期利益では1.5倍しかない。昔から手堅い経営には評価が高い。グループ企業は、越智産業ほか関連6社。西日本フレーミング、西日本プレカットセンター、ヨドプレ、松井など17社。

【児玉 直】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:越智 通広
所在地:福岡市中央区那の津3-12-20
設 立:2010年10月
資本金:4億円
売上高:(19/3)1,046億7,100万円

関連記事