2024年03月29日( 金 )

珠海からの中国リポート(19)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

旅行者の短絡

 香港とマカオと珠海をつなぐ海上大橋ができたのはつい2年前だとはすでに述べた。自分が渡ったばかりかもわからないが、その橋をわたって珠海に入ってくる外国人が気になる。そういう1人、30代の壮健そうなドイツ人と出会った。

 この旅行者、香港と中国の出入国審査の厳しさにまず驚いたという。ようやく中国内に入ったときの感想は、「いたるところ、防犯カメラばかりじゃないか。入国審査官は俺のことを犯罪者あつかいだ。人権も何もあったもんじゃない」。

 中国にきたばかりの西洋人がよく口にする言葉だ。中華文明圏のなかで国づくりをしてきた私たちでも時に窮屈を感じるが、西洋人ほど嫌悪感をもつことはない。文化的伝統の違いなのかもしれない。

 私がこのドイツ人を知ったのは大学の食堂においてである。たまたま近くに座っていたら、いきなり英語で話しかけてきた。「君、日本人でしょ?」

 「そうだ」と答えると、「服装でわかる。日本人は中国人とちがって小ぎれいだからね」。

 その後、彼は一昨年日本旅行をしたときのことをとうとうと話しはじめた。彼によれば、日本は「地球上で最も天国に近い」。人々は優雅で親切で、繊細。自然の風景は美しく、古くからの伝統も失われていない。しかも、何もかも便利にできていて、旅行者が困ることはほとんどないというのだ。おいしいコーヒーも手軽に飲めるし、スーパーで本物の寿司も買える。言葉などわからなくても、十分楽しめるとのことだ。

 聴いていて嬉しくなる話のようでいて、どうもものの見方が一方的で短絡的なように思える。中国のすごさをわかろうという気はまったくない感じがし、「一体、Youは何しに中国へきたの?」と聞きたくなった。

 「中国は不潔だ。日本の清潔さと雲泥の差」と彼はいう。その通りだとは思うが、それだけが中国の印象ならあまりにさびしい。そこで私は説明した。「防犯カメラが多いのは、この国で治安を保つことが非常に難しいことを示している。国家は国民の安全と同時に政治体制の保全を考えるのであって、それ自体はおかしなことではない。ともかく、中国は世界でも最も安全な国になっている」

 そうした説明でこの旅行者が納得するはずはなかった。「安全の名の下での統制。昔から全体主義国家が行ってきたことじゃないか。やたら高層ビルが乱立しているけど、どれもが速作りを感じさせておっかない。自動車にしたって、どう見ても日本製のほうがしっかりできてるし、美観も呈している」と続けざまにいう。

 彼の日本と中国の印象比較はいかにもありきたりだった。最初から「中国は社会主義、日本は自分たちと同じ自由主義」というレッテルが貼られている感じがした。こういうことでは、世界中どこへ行っても答えは同じ。せっかくの旅行が、何の発見ももたらさない。

 ところで、彼はどうして学生食堂に食べにきたのか。「安上がりだから」だろうという答えが返ってくるかと思ったが、こういう説明が返ってきた。「学生の様子から国情を探ることができるんだ」

 そこで、「学生の印象は?」と聞くと、「若者らしさがない。本ばかり読んで人生を知らないって感じだ。これで、物事を考えられるか。食堂でも1人ひとりスマホを覗き込んで、横に座っている人間と話そうともしない。将来どんな大人になれるんだ」

 吐き出すような言い方だが、至極まっとうな感想でもある。私自身、大学食堂へ行くたびにそう思う。生きる喜びから隔てられている檻のなかの動物みたいな若者たち‥。

 しかし、それでもこの旅行者にはあえてこう言った。「彼らは中国人の一般じゃない。もっと町の中心部に行って、庶民の集まるところで食べてみたら雰囲気がまったく違うぞ。言葉はわからなくても、とても温かい人々なんだ」

 「じゃあ、どこへ行けばいいの?」と興味津々。そこで、町の中心の市場周辺の小さな食堂の乱立するあたりが良いと教えた。とくに、夜の8時過ぎがいいと。

 香港から入った彼は再び香港に戻り、そこからヨーロッパへ帰る。多くの旅行者がその経路を使っているが、私ならマカオ経由を薦める。マカオのほうが旅行者を癒す力があるからだ。香港はダイナミックだが、何事もビジネスライク。昔ながらの中国のよさはマカオに見つかる。

 「マカオには行かないの?」と尋ねると、「時間がない」と返ってきた。気さくだが、発想が単純すぎる気がした。それでも、別れ際には神妙な顔でこう言った。「今の世界、どっちに転んでもおかしくない。そういう中で、中国という国はそれなりに自分の道を歩んでいるみたいだ。そういう国は見ておくに越したことはないと思うね」

 これも納得だ。中国はいろいろ問題があるにせよ、「一大人間実験」の場であることは間違いない。そういう場を知っておくのと知らないのでは、大きな差があるにちがいない。

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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