2024年04月25日( 木 )

【ギラヴァンツ北九州】ともに戦い、挑み、行動する サッカーを通して地域に活力を(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

(株)ギラヴァンツ北九州 代表取締役社長 玉井 行人 氏

 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)史上初の前年リーグ最下位クラブが優勝する快挙で昇格したJ2・ギラヴァンツ北九州(ギラヴァンツ)。今期4年ぶりのJ2での戦いで挑むギラヴァンツは、Jリーグに参入して10周年である。一昨年(2018年)1月に就任した代表取締役社長・玉井行人氏に、就任から現在、そしてこれからについてインタビューを行った。

存亡の危機のなか

ギラヴァンツ北九州 代表取締役社長 玉井 行人 氏
ギラヴァンツ北九州 代表取締役社長 玉井 行人 氏

 ――まずは、改めましてJリーグ史上初の快挙を成し遂げられたことに、心より敬意を表します。玉井社長は、ギラヴァンツがどん底の状態のなかで、代表取締役社長に就任されました。就任された経緯やきっかけなどについてお聞かせください。

 玉井社長(以下、玉井) ありがとうございます。おかげさまで、昨シーズンは小林伸二監督兼スポーツダイレクターの指揮のもと、育成と強化が順調に進みJ3優勝とJ2昇格という2つの成果を手中にすることができました。これは、サポーターおよびファン始め各スポンサー企業・団体・店舗、行政各所など皆さまから熱い応援とご支援をいただき、私たちの背中を押していただいたおかげです。改めて心から感謝申し上げます。

 ギラヴァンツの社長就任についてですが、私は北九州市若松で生まれ育ちました。学卒後に西日本新聞社へ入社いたしました。しかし、それまでスポーツの分野とは無縁で、また同新聞社でも社会部で事件や事故などの報道に携わり、安全保障が専門分野でした。東京着任時は政治部で活動しておりました。記者としての業務とともに、各団体と交流しながら、着任した地域社会と関わってきました。

 37年ぶりに地元北九州に戻り、西日本新聞社北九州本社代表となりました。そこでも報道を通して、地域活性に取り組んできました。そのようななかで、私の経験や理念をギラヴァンツにも生かしてほしいという要請があり、2017年12月に受諾し就任の運びとなりました。

北九州の風土を生かす

 ――玉井社長がクラブトップに就任されたシーズンは、苦難のシーズンでした。

 玉井 シーズン中、ほとんど最下位の位置でした。その年の秋ごろに過去のギラヴァンツについて詳細に調べました。それでわかったことは、毎シーズン体制が変わることと、短期間で監督が変わり戦術に一貫性がないことです。

 つまりクラブとしての蓄積がなく、ギラヴァンツ独自のサッカースタイルがなかったのです。当時の現況から、クラブ自体の根底から改革しなければならないと決断いたしました。クラブの在り方から改革する、クラブ理念である「子どもに夢と感動を! 街に誇りと活力を!」は存在しておりますが、これはどのクラブも同じです。ギラヴァンツ独自のクラブフィロソフィーを確立することが急務でした。つまり、北九州という風土を生かした、独自のフィロソフィーでクラブを一からつくり直すことでした。

 北九州は鉄と石炭を基軸に発展してきた街です。そして時代とともに技術革新を実践するなど、イノベーティブな産業文化が醸成されてきました。何よりも愚直に何事にも全力を尽し、ひたむきに働く風土です。それが、“弱い人には手を差し伸べる”という北九州の気質です。

 ギラヴァンツが目指すサッカーは、北九州の精神風土の柱“フロンティア、イノベーティブ、ボランティア”という、「地域のDNA」に立脚し、試合終了のホイッスルが鳴るまで攻撃の手を緩めず全力を尽くし、強い心で熱く、激しく戦うクラブを目指すことといたしました。“攻守切り替えの速いExcitingサッカー”と掲げました。そのフィロソフィーを基に、3カ年計画を策定し、改革に着手し、19年を「改革元年」と銘打ちました。

(つづく)
【文・構成:河原 清明】

<プロフィール>
玉井 行人(たまい・ゆきと)

 1957年7月、北九州市若松区生まれ。早稲田大学を卒業後、83年に西日本新聞社に入社。編集局社会部、東京報道部、久留米総局長などを経て、2012年から北九州本社副代表兼編集長、13~17年まで執行役員・北九州本社代表。18年1月からギラヴァンツ北九州代表取締役に就任。

(後)

関連記事