2024年04月19日( 金 )

「赤福血風録」赤福会長、暴力団から焼酎を受注し、辞任~根底には、父が息子を追い落としたクーデター事件あり!(前)

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 伊勢名物、赤福餅で知られる三重県伊勢市の和菓子老舗「赤福」の濱田益嗣(ますたね)会長(82)が、指定暴力団と関わりをもった責任を取り、赤福会長と持株会社濱田総業の会長を辞任した。赤福といえば、益嗣氏が息子の典保(のりやす)社長(57)を追い落としたお家騒動で企業事件史に名をとどめる。

指定暴力団の代紋が入った焼酎の陶器ボトル

 伊勢神宮参道に本店を構える和菓子店赤福のピンクの包装紙に包まれた赤福餅は、お伊勢参りのお土産の定番である。滑らかなこしあんを柔らかな餅でくるんだシンプルな和菓子だ。全国の百貨店で開催される「伊勢志摩物産展」では、赤福餅は発売と同時に売り切れる超人気商品だ。

 そんな有名店で、とんだスキャンダルが起きた。共同通信(2月19日付)は全国のメディア向けにこう発信した。

 "浜田総業によると、グループ企業の酒造会社「伊勢万」が2000~12年に、陶器のボトルに指定暴力団の代紋が入った焼酎を製造・販売した。個人的な交友関係があった暴力団幹部からの依頼を受け、浜田氏が本数や納品日を指示していたという。

 12年間で代紋入りの焼酎3466本、代紋が入ってない焼酎4714本を指定暴力団に販売。売上総額は約1,500万円だった。

 19年12月、代紋入りの空ボトルをグループ企業の従業員に示し、金品を脅し取ろうとしたとして、県警が恐喝未遂の疑いで男を逮捕した。事件を受けて浜田総業は第三者委員会を設置し、過去の取引実態を調査。浜田氏は1月16日付で辞任したが、第三者委は浜田氏にグループ会社全てのの役職から退くよう求める答申を2月4日にまとめた。

 浜田総業は取引について12年の時点で確認していたものの、浜田氏を処分しなかった。12年以降、反社勢力との取引はないとしている"

共同通信(2月19日付)

 この記事のポイントは「12年の時点で確認していた」というくだり。その件は重要なので、あとで説明する。

中興の祖、8代目未亡人・濱田ます

 赤福の始まりは、江戸時代中期。1707(宝永4)年に、初代が伊勢神宮内宮の五十鈴川のほとりで、お伊勢まいりの参拝客をもてなすために開いた餅屋に遡る。

 赤福の313年の歴史のなかで、最大の傑物は8代目当主の未亡人、濱田ますさんである。ますさんが赤福の”中興の祖”と呼ばれるのは、終戦前後の5年間、赤福餅の販売を完全に中止した英断による。砂糖と小豆が統制品になり、良質の砂糖、小豆が手に入らなくなった。

 「ヤミの原材料で餅をつくったら、赤福が赤福でなくなる。味がわかる人から『これが赤福か』と笑われる」と言って店を閉じて、赤福餅をつくることを拒否し続けた。

 当時40人いた従業員には営業再開するまでの5年間、休業補償して自宅待機。休業補償に充てる金を得るために濱田家が所有していた土地建物を売り払った。

 1975(昭和50)年に、ますさんをモデルにしたフジテレビ・土曜劇場の連続ドラマ『赤福のれん』(十朱幸代主演)が全国向けに放映された。老舗の暖簾を守り続けるますさんの姿が大反響を呼び、これが、赤福餅が全国ブランドになるきっかけになった。

益嗣氏は赤福餅の消費期限偽装事件で、一度は辞任

 濱田益嗣氏は9代目当主の父親が戦死したため、祖母のますさんから10代目当主として育てられた。1960年に慶応大学経済学部を卒業した益嗣氏は、10代目当主として家業を継ぐべく、いきなり専務に就いた。益嗣氏は、家内工業の域を出ない赤福の近代的な生産化への転換を図る。

 ますさんは1969年に、益嗣氏に社長職を譲った。益嗣氏が大量生産、広域販売を始めると、「ご先祖さまが残してくださった暖簾一筋に、大事につつましく商いをしてまいりました私は仰天するばかりでした」といって嘆いたという。

 手づくりを大切にしてきたますさんは、益嗣氏の大量生産のやり方を受け入れられなかったのだ。赤福の中興の祖・ますさんは1976年に90歳で亡くなった。

 益嗣氏が入社当時、年商8,400万円で従業員は94人だった。今や、グループ全体で年商250億円、従業員の1,600人の大所帯だ。赤福餅を全国一のお土産にした益嗣氏は事業家としては大成功した。伊勢神宮脇に観光商店街「おかげ横丁」を完成させ、伊勢を全国有数の観光地に押し上げた。しかし、「赤福の品質を守る」というますさんの商人(あきんど)としての気概を見習うことは一度もなかった。

 2007年10月、赤福の消費期限の偽装や商品の再利用などが常態化していたことが発覚した。不正は益嗣氏の社長時代から30年以上行われていた。食品衛生法違反で3カ月の営業禁止処分を受けた。

 当時会長だった益嗣氏は引責辞任し、社長を務めていた益嗣氏の長男、典保氏が経営再建のため続投することになった。1985年慶応大学商学部卒。2005年、1一代当主として、父の後任の社長に就いていた。

 赤福は2007年が創業300周年。記念すべき年に、暖簾は大きく傷ついた。ますさんの危惧が現実のものとなった。

(つづく)
【森村 和男】

(後)

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