2024年04月20日( 土 )

効率性重視の20世紀型建築からもっと自由で“樹木"のような建築へ――(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

建築家 有馬 裕之 氏

有馬 裕之 氏
有馬 裕之 氏

20世紀型の建築が抱える“人間否定”の状況

 ――現在、大都市の都心部では、大規模な再開発プロジェクトが次々と動いています。これに対して、どのような見解をもたれていますか。

 有馬 我々は、21世紀の時代に生きながら、これから先の未来をつくっていこうとしています。ですが、我々の周りにあるのは、相変わらず20世紀型の建築ばかりです。

 今から100年くらい前に、ル・コルビュジエという建築家がパリの街を改造する計画「300万人の現代都市」というものを行ったのですが、それとあまり変わりません。コルビュジエが当時やろうとしたのは、都市が非常に過密・複雑になっていたのに対して、建築を高層化することによって空地(くうち)を生み出し、そこを緑化して快適な空間をつくろうという仕組みで、その当時は画期的で新しい概念でした。今の“天神ビッグバン”などを見ると、その100年前と同じことが行われているように思えてなりません。

 今、変革が起きています。東京などの大都市では、電車や自動車のラッシュといった交通疲弊を始めとするさまざまな混乱が起きています。これは、都市における効率の悪さの象徴的なもので、いわば“人間否定”の状況です。そろそろ都市や建築も“人間を解放する”―地域の集中化などを、もう一度整理し直すことを考えていくべき時代なのではないかと思っています。

 20世紀のいわゆる近代主義と呼ばれた建築は、抽象化して、できるだけ表面積を小さくすることによって、経済性を得て性能を上げるような“機械的な”イメージをもっていたわけです。つまり、我々が今生きているのは、“人間の効率的な作業や居場所だけが必要となった”世界であり、それはある意味では“工場”や“倉庫”です。しかも、それはいくつかの限定された要素を切り取って目的を設定し、それに向かって効率性や性能を高めていくようなやり方で、これまでの日本はそれでどんどん進化してきました。ですが、それをもう少し考えるべき時期ではないかと思っています。

 たとえば新幹線は、在来線とはまったく違う別のシステムであり、2つの駅の間を最速・高速で移動するような単純な目的を設定し、そのためにすべてがオーガナイズされています。そこでは、鉄道を使って沿線の風景を楽しみながら旅をするといったような要素よりも、いかに高速で移動するかというところに重きが置かれています。ある意味、20世紀の建築というのは、この新幹線と同じような発想でデザインされています。

 ――たしかに、高さ制限や容積率ギリギリの建物を建てて、いかに延床面積を確保して、そこに人や物を詰め込むかに主眼が置かれているように思います。

 有馬 これまでは、ある意味それで良しとされていました。今でも、建築には機能性や効率性などが常に前提として要求されますし、大学の課題でもそういう解が求められます。ですが、そういう建築というものは、実はさまざまな環境との関わりが切り落とされてしまっているのではないかという疑問をもっています。新幹線の例に戻ると、たしかに効率的で便利な半面、いわゆる“鈍行の良さ”などは削ぎ落とされてしまっています。建築も同じで、機能的であればただそれだけで人間にとって本当に快適で最適なのかというと、実際はそんなことはありません。

 よくよく考えてみると、人間というものはある意味ではルーズで、さまざまな環境との関係のなかで物事を複雑に組み合わせて生活をしていますよね。もちろん、ビジネスや仕事を行っていくうえでは効率的にやっていく必要はありますが、そこを離れたプライベートの部分では、もっと豊かに暮らしたいですし、自宅ではゆったりと過ごしたいものです。そうした要素が複雑に絡み合っていますので、これからの建築や空間というのは、ただ効率的なものだけを追い求めていくのではなく、人間の身体とか生活、コミュニケーションなどを、相互につなげるような役割をはたさなければならないと考えています。

今後の方向性を示唆する「オートポイエーシス」

 ――これからの建築は、どのような方向に進むべきだとお考えですか。

 有馬 これは建築の概念ではないのですが、「オートポイエーシス」というものがあります。これは“自己生産”を意味しており、たとえば人間の皮膚は劣化すると新陳代謝で新たな皮膚が生成されますが、それと同じように、システム全体の構成要素を、持続的に再生産するようなメカニズムのことです。もともとはチリの神経生理学者のマトゥラーナとバレーラの共著論文「オートポイエーシス 生命の有機構成」(1973年)で初めて提起されたもので、生命システムを特徴づける概念です。このオートポイエーシスを建築に当てはめてみると、そこから4つの特徴を学ぶことができます。

 まず1つ目は「自律性」です。それは、システムが自分に起こるどのような変化に対しても、自分自身によって対処できる能力をもつということです。建築でいえば「建築コンセプト」であり、自分自身のなかの仕組みづくり―人の動きとか、周りとの関係性とか、どのように周りとレスポンスをするのか考えるということになると思います。2つ目が「個体性」。これは、システム自身が自らの構成素を産出することによって、オリジナリティをどう保っていくかということになります。

 3つ目は「境界の自己決定」で、ある建築の境界面と、他の境界面というものを、自分自身で決定していくという考え方です。非常に固い言い方になりましたが、要するにこれはコミュニケーションのことです。たとえば皮膚は人間にとっての境界ではありますが、外と断絶されているわけではなく、皮膚呼吸で空気や水分を取り入れたり、メラニン色素で光を取り入れたりしています。建築においても、コミュニケーションによって外を入れる、まちとつながるなどの境界の考え方が、私としてもすごくインスピレーションを受けました。

 そして4つ目が「入力も出力もない」というものですが、建築的にいうと「エネルギー完結型」ということです。今の建築は、電力などのエネルギーが外から来ることが当たり前になっていますが、これからの建築は、自分のなかでそうしたエネルギーを完結させていくことが、環境的に対する世界的な要請からも、求められていくと思います。

 こうしたオートポイエーシス的な要素が、これからの建築の在り方を考えるうえで、大きなヒントになるのではないでしょうか。

 たとえば、ある建築プランがあったときに、職人1人ひとりに図面を与えて何も指示をしない場合と、すべてを指示しながら動かした場合とでは、その完成形は違ってくると思います。職人1人ひとりに考えてもらいながらやってもらうプランのほうが、ものすごく面白いものができてくる可能性があり、これがオートポイエーシス的な考え方です。

 その典型例が「サグラダ・ファミリア」で、あれもすでにガウディが亡くなっているにもかかわらず、職人1人ひとりがものすごく工夫を凝らしながら進めていることで、ますます面白いものになっています。そのような建築や都市計画、まちづくりが、これからは重要なのではないかと思います。

<プロフィール>
有馬 裕之(ありま・ひろゆき)

 1956年、鹿児島県生まれ。80年に(株)竹中工務店入社。90年「有馬裕之+Urban Fourth」設立。さまざまなコンペに入賞し、イギリスでar+d賞、アメリカでrecord house award、日本で吉岡賞など、国内外での受賞歴多数。作品群は、都市計画から建築、インテリア、グラフィックデザイン、プロダクトデザインなど多岐にわたり、日本・海外を含めたトータルプロデュースプログラムを展開している。近年はその一環としてニューヨークでMIRROR IN THE WOODSという法人組織を立ち上げ、多様なタイプの音楽&アートを実行するチーム組織を編成し、街のなかでの参加型システムによるコミュニケーションプロジェクトを進めている。

(後)

関連記事