2024年03月28日( 木 )

スペワ跡地に賑わい取り戻せるか アウトレット&新科学館が22年開業(前)

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西日本最大級のアウトレット誕生へ

 イオングループのなかで、大規模地域開発およびショッピングモール開発・運営を手がけているイオンモール(株)(本社:千葉市美浜区、岩村康次社長)は、北九州市八幡東区のスペースワールド跡地で計画している「(仮称)八幡東田プロジェクト」の計画概要とコンセプトを発表した。

 新たに開発されるのは、従来型モールとはまったく異なる、アウトレットモールを核とした地方創生型商業施設「THE OUTLETS(ジ アウトレット)」。スペースワールド跡地の約27万m2の敷地を大きく「エンターテイメントエリア」と「アウトレットエリア」の2つのエリアに分け、そこに延床面積約7万5,000m2、総賃貸面積約5万8,500m2の複合施設を整備するほか、北東側外延部には約4,000台(敷地外駐車場含む)収容可能な駐車場も整備する。コンセプトは「Meet Amazing Emotion」で、“本格アウトレット”と“エンターテインメント”、さらに“地域との出会い”を掛け合わせることにより、「“心を揺さぶる”出会い、発見が溢れる場、誰にとっても新しくて、懐かしくて、わくわくするものが溢れている」施設を目指していく。また、隣接地にある既存の「イオンモール八幡東」(2006年11月開業)との間を新設デッキで結び、双方の施設での相乗効果も見込む。施設開業は2022年春を予定しており、イオンモールの「THE OUTLETS」業態としては、18年4月開業の「THE OUTLETS HIROSHIMA(ジ アウトレット ヒロシマ)」(広島市佐伯区)に次いで2カ所目となる。

ゾーニング計画

 今回の開発でのアウトレットとエンターテイメントの両エリアの詳細については明らかにされていないが、広島の先行施設を例にとると、アウトレットエリアにはブランドショップが入るほか、エンターテイメントエリアではシネマやグルメなどのショップや、スケートやボウリングなどのアクティビティ施設、さらには最新VRなどを導入した総合アミューズメント施設が入る公算が高い。また、エンターテイメントエリア内には北九州市の「新科学館」も移転する予定となっており、近隣の「北九州市立自然史・歴史博物館(通称:いのちのたび博物館)」とも合わせて、文化施設の集積による同エリアへの観光入込客数増加への効果にも期待が寄せられている。

 なお、隣接するイオンモール八幡東と合算した場合、敷地面積は約33万6,000m2、駐車台数は約6,000台となる。これは、「マリノアシティ福岡」(福岡市西区、敷地面積約8万5,200m2、駐車台数約2,500台)や「鳥栖プレミアム・アウトレット」(佐賀県鳥栖市、敷地面積約13万4,200m2、駐車台数約2,900台)だけでなく、前出の「ジ アウトレット ヒロシマ」(敷地面積約26万8,000m2、駐車台数約4,000台)をも上回る規模となり、開業の暁には八幡東田エリアに西日本最大級のアウトレット&商業施設エリアが誕生することになる。

 開発を手がけるイオンモールは、「本州およびアジアの玄関口に位置する北九州市は、県内では福岡市に次ぐ人口を擁し、幅広い世代から住みよさを実感できるまちとして高く評価されています。当プロジェクトが北九州市の新たなランドマークとして、市内を始めとする地域の皆さまはもちろんのこと、国内外からの観光客の皆さまにもご来店いただけるような施設を目指していきます」と意気込む。

日本の近代化を支えた八幡製鐵所・創業の地

 イオンモールの地方創生型商業施設「THE OUTLETS」として再開発が進められる八幡東田地区は、北九州市のなかでも、小倉と並んでシンボリックなエリアだ。というのも、ここは官営八幡製鐵所創業の地であり、1901年2月の東田第一高炉への火入れとともに、日本における近代化の幕開けとなった場所だからだ。今も東田地区には、“ものづくりのまち・北九州”のシンボルとして東田第一高炉跡が屹立するほか、15年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産もいくつか保存されている。

 1901年に操業を開始した官営八幡製鐵所だが、その建設地としてこの八幡東田地区が選ばれたのは、筑豊炭田から遠賀川などの水運や鉄道などを利用することで、石炭を大量・迅速に調達できるというメリットが大きかったからとされる。操業間もない1904年2月には日露戦争が勃発し、鉄の需要が急増。八幡製鐵所では最新鋭のコークス炉導入などによってこの鉄需要に対応し、第二次世界大戦前には日本の鉄鋼生産量の半分以上を製造する国内随一の製鉄所にまでなったという。

 だが終戦後、石炭や鉄鉱石の輸入元が中国からオーストラリアなどに替わっていくのにともない、日本の製鉄業の本場は次第に本州へとシフト。70年3月に八幡製鐵と富士製鐵との合併によって新日本製鐵(新日鉄)が発足すると、北九州市でも八幡東田地区から戸畑地区へと製鉄所や関連工場の移転・集約が進み、ついに72年には東田第一高炉を含めたすべての高炉が稼働停止となった。

遊休地を活用しスペワ開業へ

 こうして、八幡東田地区における製鉄業の縮小にともない、広大な工場跡地が次々と誕生。これら未利用地を有効活用すべく、企業・経済団体・行政が一体となって再開発計画が進んでいくことになった。

 87年に東田地区開発基本調査が実施された後、88年に策定された北九州市全体の都市政策「北九州市ルネッサンス構想」のなかで、東田地区の開発の方向性が決定された。そうしたなかで、新日本製鐵(現・日本製鉄)八幡製鐵所の遊休地を活用するかたちで90年4月に開業を迎えたのが、テーマパーク「スペースワールド」だった。

解体されるスペースシャトルの模型
(18年12月撮影)

 開業時のキャッチフレーズ「水金地火木、スペースワールド。地球に生まれた宇宙」――に表れているように“宇宙”をテーマにした同園は、「ブラックホールスクランブル」「スターシェイカー」「惑星アクア」「タイタン」などの宇宙にちなんだ遊園地的なアトラクションのほか、米国スペースキャンプ財団とのライセンス契約による宇宙体験学習施設「スペースキャンプ」や、日米の宇宙開発の歴史をたどれる展示品を収蔵した「宇宙博物館」などの専門的な施設も整備。一般的な遊園地のように単に遊ぶだけでなく、宇宙について本格的に学べることもウリとしており、同園のシンボルとして、スペースシャトル「ディスカバリー号」の実物大モデルが園内に屹立していた。開業当初に同園の運営を手がけていたのは、新日鉄グループが51%、残りを国や福岡県、北九州市のほか、地場企業を始め37社が出資して設立された(株)スペースワールド。総投資額約300億円の官民挙げての一大事業だった。

 こうして開業を迎えたスペースワールドは、しばらくの間は入場者数・売上高ともに上り調子で、開業から3年後の93年度には年間入場者数200万人を突破。95年3月期には売上高約125億円を計上するなど、気炎を吐いていた。その後も新たな遊具を順次導入していき、ピークとなる97年度には年間入場者数216万人を記録。99年7月には同園の最寄り駅として、JR鹿児島本線「スペースワールド駅」も開業した。

スペワ破綻と再生、そして閉園へ

 だが、開業直後のスタートダッシュも、そう長くは続かなかった。
 スペースワールドの開業と同時期には、バブル景気の後押しや、87年6月の改正リゾート法(総合保養地域整備法)の施行もあって、全国各地でテーマパークの建設ラッシュが勃発。そうした他テーマパークとの競争激化により入場者数は徐々に減少し、01年度にはついに200万人を割り込んだ。加えること、客単価の低下による利益率の減少や、たび重なる遊具新設などの設備投資によって資金繰りが悪化。04年3月期には入場者数約180万人、売上高約59億円にまで落ち込んでいた。

 こうしたなか、親会社の新日本製鐵は、赤字脱却の糸口が見えないスペースワールドの経営から撤退する方針を固め、(株)スペースワールドは05年5月に福岡地裁小倉支部に民事再生手続開始を申し立てた。負債総額は約351億円だが、そのほとんどは新日鉄の債権だった。その後、民事再生法の下で05年7月、「杉乃井ホテル」(大分県別府市)などの再生実績をもつリゾート運営会社の加森観光(株)(北海道札幌市)が経営権の譲渡を受け、再建を目指すことになった。

 加森観光は、同園の入場券&アトラクションチケット制を廃止してフリーパスに統一するなど入場システムを一新し、同時に値段も改定。多くのアトラクションでリニューアルを実施するほか、新たにプールエリア「ウォーターパーク MuNa(ミューナ)」を新設するなど、数々のテコ入れを行っていった。こうした施策により、08年には年間入場者数が11年ぶりに増加に転じるなど徐々に回復に向かい、10年3月期には黒字化も達成。以降も来場者数は緩やかな右肩上がりで推移し、16年3月期には過去最高益を出すなど、スペースワールドの再建は順調に進んでいたかに見えた。

 ところが16年12月、同園の公式サイト上で、約1年後の17年12月末をもって閉園する旨を発表。まさに“青天の霹靂”とでもいうべき衝撃的なニュースとなった。

(つづく)

【坂田 憲治】

(後)

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