2024年04月25日( 木 )

「嫁介護」と「棄老」問題の本質(後)

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大さんのシニアリポート第87回

 「老老介護」「姉妹介護」「嫁介護」「息子介護」…、介護のかたちはさまざまだ。私自身、今から41年前、出版社を辞し妻をともなって故郷(山形市)に帰郷。そこで母を看た。当時は介護保険制度(2000年施行)前で、基本介護は在宅か、老人病院だった。母は心臓に疾患があり、たびたび発作を起こすために近くの老人病棟に入院。体調のいいときは家に戻るかたちを採った。大半は病院で過ごすことになったので、私と妻が毎日(朝、昼、晩食時に3度)病院に通いつめた。その様子を『S病院老人病棟の仲間たち』(文藝春秋社 1988年刊)として上梓した。

 現在、核家族化の先に、「棄老」という現象が生まれている。親を子が棄てるのである。これは「経済的困窮が原因の1つ」と評されることが多い。しかし、それ以前に、家族関係そのものの崩壊という事実を否定できない。つまり戦前・戦後の価値観の変化である。戦後、大都市圏へ大量に流入した地方出身者。その結果、営々と営まれてきた「結・絆」が消滅した。彼らを収容するために急遽造られた公営住宅は、文字通り狭小住宅だ。やがて成長した子どもたちは「ウサギ小屋」から出て独立せざるをえない。大都市圏に移住した地方出身者に、新しい「結・絆」を再構築するだけの力は残されていなかった。

 「大家族主義から核家族化へ」という戦後の大変革は、「親を敬う」という儒教的な基本理念を放棄させた。自分本位となり、家族をはじめ周囲に目をやるゆとりも失せた。「国民の9割が小市民(プチブル)」という時代は去った。必死に自分の生活を守るしかないというのが今の素顔である。家族の崩壊は「子が親を看る」という当然の「介護輪廻」をも葬り去った。「親を施設に入れる」ということを親への「免罪符」と捕らえているような子は、今回の新型コロナウイルス騒動で、施設での「面会拒否」を逆に歓迎しているのかもしれない。

 信じられないだろうが、高齢者が家族や社会から崇められていた時代があった。長寿者が少ない中世期には、「老人そのものが、人びとの願望であった長寿を具現しているというだけでなく、老人が世俗におけるいろいろな規制から解放された自由な身であり、経験の積み重ねによって得られた老いの知、そのうえに醸成された将来を見通す知、相対化して対象を見ることのできる目、あるいは総合的な見地から判断が下せる全体知といった、一般的には神の属性と思われるような畏敬すべきものを、老人がもつと思われていた」「老人の痴呆を神の自由な世界に一歩近づいた証と捉えることができれば痴呆老人の幻覚・幻聴に起因する発言も妄言ではなくなり、聖性を帯びたものとなる」(『痴呆老人の歴史』新村拓)という時代があったのである。春日井氏の「江戸時代には介護は当主である男性の努めでした」という言葉とつながるような気がする。

 平均寿命が極端に短い時代には、長寿(老人)そのものに大きな価値があった。それが90歳に近い現在では、長寿そのものに大きな価値を見い出せなくなった。「痴呆(呆け)」が「認知症」という病気に格上げされ、認知症になることに過大な恐怖を抱くようになった。「老いることは悪」という風潮が生まれたのはいつのころからだろう。

 「介護保険は『一部の女性たちの私的な問題』とされてきた介護を、確実に社会化しました。一番評価している点は、第三者が介入するようになったことです」と春日井氏。「嫁介護」は介護保険制度によって確実に減少するだろう。一方で、「5080問題」(50歳の未婚の息子が80歳の親を看る)という新たな問題が顔を見せはじめている。

(了)

・『日本の三大宗教 神道・儒教・日本仏教』(歴史の謎を探る会「編」 KAWADE夢文庫 2005年)参考

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)など。

(第87回・前)
(第88回・前)

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