2024年04月19日( 金 )

「コロナ恐慌革命」以降どうなるのか(10)~キューサイ創業者の「600億円」はどこに消えた

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 「コロナ襲来」は2代目、3代目社長が経営する企業を「洗い流して」しまうだろう。見方によっては「金持ちが没落して貧乏人がはい上がる」絶好の機会ともいえる。2代目、3代目の経営者はリスクヘッジ能力に欠ける。だから見通しが甘いのだ。コロナの恐ろしさをなめている「御曹司経営者」たちはコロナによる“罰”を受けるだろう。

 先日、友人から「長谷川浩氏が亡くなったようだ。コロナが原因かもしれない」という電話があった。

優秀な“仕事師”だった浩氏

  それは「何気ない」電話だった。ある経営者から「人生虚しいものよ!私より4歳年上の長谷川浩氏が先月亡くなった。ブログで知ったのだが、コロナと関係がありそうだ。いやぁ、私が店をオープンするとき、同氏には本当にお世話になった」という趣旨の話である。まず「コロナと関係あり」という情報に関心を持ったので裏取りをした。結果、コロナ感染症による死因であったそうだ。「何と不運な巡りあわせか!」

長谷川 常雄 氏

 あとで触れるがキューサイ創業者の長谷川常雄氏が、故人である浩氏を「馬鹿クソ」にけなしていたのは平成初頭のことだった。浩氏は“オヤジ”常雄氏に反発し、自立しようとしていた。ドイツ料理店をオープンしたのだが、あまりに時代を先んじたせいで行き詰まった。それを見たオヤジ・常雄氏は「それみたことか!」と浩氏をなじった。

 しかし、残念なことに(常雄氏からの立場でいえば)常雄氏の実績を守り、発展させたのは浩氏だった。常雄氏の最後の闘病生活の処理、残された600億円の資金の運用は浩氏に託すしか選択の道がなかったのである。オヤジ・常雄氏の逝去は2019年4月27日、浩氏は2020年4月24日とわずか1年たらずの逝去で、浩氏が自由に羽ばたけたのは実に短い時間だった。

 親子共々、「儚い人生、呪われた人生」だったと言える。

常雄氏の評価は“マチマチ”

 キューサイ創業者で故人の長谷川常雄氏に関するレポートを数々、作成してきた。筆者は故人のレポートに関しては第一人者だと自負している。2019年5月15日のNetIBNewsに死去の記事を掲載している(「長谷川常雄氏死去 青汁のキューサイ創業者」)ので、ここではおさらいだけにして、常雄氏への「評価錯綜」だけに絞る(本篇初登場の事実も交える)。

 筆者の「評価錯綜」要約(1)上場させて600億円の資金を得た実績は非常に高く評価する。相続税対策で無税のロンドンに逃亡したのは「本人勝手の価値観」だから批判する筋合いではない。ただし、情けないのはロンドンに逃亡したのであれば「イギリスに骨を埋めてしまえ!」を実行するのが筋である。しかし、東京に生活基盤を移したことで経営実績をパーにした。「銭ゲバ」という言葉しか残らない結末となった。

 ある側近の弁(2)家族の相談にものってきた。優秀な経営者だからこそ役に立ちたいと思い、秘書役を買ってでた。私自身は経営者だから収入もある。常雄氏に近づいて何か対価を得るような魂胆はなかった。ただ、尽くせば尽くすほど、感謝の念がない性根であることがよくわかった。浩氏の扱いに関しては「非常に理不尽だった」と断言できる。

 常雄氏を「師匠」と仰いでいた経営者の談(3)中小企業家同友会のメンバーとして一時は私淑していた。事業計画書セミナーでは教えを乞いまいしたが、尊敬の念はそこまでです。上場させた後、M&Aで600億円を握って以降、人間の本性が丸出しになりました(ロンドンへ逃亡)。そこから「人種が違う」と思い、縁を切った次第です。

 元政治秘書の回想(4)私の先生の「九州地区応援会長」に就任してもらいました。決起大会には600人の動員に成功しました。そこで常雄氏にあいさつしていただいたのですが、農業を無視した内容の話でした。朝倉の県会議員(農協推薦選出)から怒り心頭の批判を浴びた経緯が印象的です。“空気を読めない人”で上からものを言う傾向がありました。

 決起大会が終えた1週間後、南区の豪邸に挨拶に行くことになりました。その時、ひどく弱々しい様子で会社を売るつもりだと打ち明けられました。これには驚き、常雄氏の意外な一面を知りました。それからM&Aに成功してロンドンへ「逃亡」。バッキンガム宮殿の真向かいに住宅を買ったという知らせと写真が送られてきたのが、最後の連絡でした。

浩氏の最期

 関係者の見解を総合すると「600億円ファンド」はスイス在住の日本人が経営する投資ファンド会社に委託しており、順調な利回りを得ているそうだ。この会社には故人・長谷川常雄氏の未亡人も役員として参画しており、事業投資リターンは好調のようで一族の生活にいっさい不安はない。

 浩氏の趣味はサーフィンである。海外のほとんどの「名スポット」で波乗りをたのしんでいたそうで、サーフィン団体の会長の要職にも就いていたという。それで友人と共同経営していた会社役員を3年前に辞任している。福岡の友人たちは「サーフィンをしている本人の写真は明るく、元気そのものだったから信じられない」突然の浩氏の訃報に驚いていた。

 お金は命に次いで大切なものであることは事実。そのお金で家族を守ることは当然の行為である。しかし、他人のお金は、人さまにとって妬みしか生まないのも、また事実である(そのお金で接待を受けていたら感謝の念を抱くかもしれないが…)。「あれだけ貯めても亡くなればおしまい」という陰口しか叩かれない。ネット上にもあと2年もしたら「長谷川常雄」という名前は残っていないかもしれない。関係者の記憶からも消えるだろう。

 ただ悔しいのは浩氏の死である。コロナを呪いたい。今回の件はコロナ襲来による「ひとこまのドラマ」だったことを記する。

(つづく)

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