2024年03月30日( 土 )

「コロナ恐慌革命」以降どうなるのか(12)~「時代規定」を確認しよう(中)

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 第一次世界大戦での壮絶な「殺し合い」によって、ヨーロッパで封建的国家体制を敷く帝国の大半が地球上から消滅した。これがアメリカの「世界支配」の始まりとなり、対抗馬として社会主義国家・ソビエトが勢力伸長の野望を抱き台頭し出した。

 世界平和の恒久を希求してヴェルサイユ体制が構築された。連合軍とドイツによる協定である。その流れに沿って国際連盟が設立された。またドイツにおいては1919年、ワイマール憲法が施行された。20世紀において最先端の民主主義制度を導入したと評価されている(生存権、男女平等)。この自由・平等の風潮は日本においても「大正デモクラシー」と称賛されたが、わずか10年足らずの短命で、あえなく瓦解した。やはり人類を変革に駆り立てる要因は経済である。1929年に大恐慌が勃発、10年後の1939年には第二次世界大戦へと突入していったのである。

「前現代」のスタート、16年間新時代づくりのために塗炭の苦しみ

 10年間、世界は戦争復興事業景気に湧き、自由を満悦し、大いに沸いた。しかし、唯一、「世界覇権国家」として快走してきたアメリカで経済恐慌が勃発する。前記した戦争特需が急減することで、一瞬にして経済の悪化が世界に拡大した。そこで各国はブロック経済体制を敷いた(我が国ファースト、お国の民優先策)。「植民地、オイル・エネルギーを持つ国」アメリカ・イギリス・フランス・オランダ対「持たざる国」ドイツ、イタリア、日本がそれぞれに別れた。つい「この前」、ドイツと日本は戦争し、反目していたが、今回は「身内」となった。

 連合国陣営は基本的には資本主義民主主義国家である。対抗する枢軸国陣営は資本主義体制ながら独裁国家だった(中味は違う。ドイツ、イタリアは個人独裁国家。ヒトラー、ムッソリーニが国会で多数派を握る政権。日本は天皇を君主にした軍部独裁国家という差がある)。

 連合国家に後から加わったソ連は社会主義独裁国家、中華民国は資本主義移行期の軍閥国家である。

 「塗炭の苦しみ」と表現したが、戦死者数がケタ違いに増加したことには驚愕する。日進月歩の兵器の進化、軍民共同の戦争戦略、「民殲滅(せんめつ)爆撃」、ジェノサイド(民族皆殺し)と戦死者が急増する方式が主流になっていった。第二次世界大戦における民間人の死者は3,800万人~5,500万人、軍人戦死者が2,000万人~2,500万人で、最大で8,000万人が犠牲になったことになり、世界人口の2.5%を構成する死亡者数である。ちなみに第一世界大戦の戦死者は1,600万人で4.5倍に“膨張”した。

 6年間の第2次世界大戦を通じて世界の「新組織体制の構築」は、まさしく塗炭の苦しみとなった。両陣営の生き残りを賭けた戦争は最大で8,000万人の犠牲を招いたが、何の成果が上がったのか!自慢できるのは世界の植民地の大半が独立したことだ。もちろん、植民地をもっていても経費が増すだけで採算に合わないという現実的な打算もあった。だからこそ、植民地支配国家も独立運動を認めたのである。

 敗北した枢軸国はどうなったのか。日本は資本主義経済を固めて民主主義国家へと脱皮した(70年間、アメリカの「隷属国家」になり下がった状況が続いている)。イタリアも同じ道を歩み始めてきた。ドイツは西・東の陣営に分離された(資本主義民主国家と社会主義独裁国家)。ドイツは1989年に東ドイツを吸収して民主国家として「再デビュー」をした。

意外と“しぶとく”勢力を拡大した「ソ連社会主義国家圏」

 アメリカが世界の覇権を握ったのは1919年の第一次世界大戦終了後、アメリカの底力を見せつけたのは第二次世界大戦でもしかり。しかし、予想に反して健闘し、勢力圏を拡大させたのがスターリンのソ連である。ドイツ・ヒトラーにとどめを刺したのはソ連だというのは誰しも認めるところだ。その証拠にソ連は東ドイツを押さえた。1946年には早々に「鉄のカーテン」とか「米ソ激突=第三次世界大戦への可能性」と危惧された。

 しかし、人類は馬鹿ではない。アメリカ陣営はまず国際連合を立ち上げ、ニューヨークに本部を設置した。アメリカが本格的に関与する姿勢を誇示したのである。また経済復興に関しては「マーシャル・プラン」などを推進し、気前よく資金を「ばら撒いた」。アメリカはアジア、ヨーロッパで軍事同盟を結び、「世界の警察役」を引き受けた。これらはすべて「対ソ連対抗軸」を強化する目的だった。

 1950年に朝鮮半島で戦争が勃発。半島の「赤化」を食い止めるためにアメリカは必死になって軍事力を駆使した。このような民主義国家陣営を防衛できたのは1955年までアメリカの製造業が順調に拡大発展を持続できたからである。ソ連との戦いは、ソ連自らがソビエト連邦を解散する1989年まで続いた。

(つづく)

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