2024年04月20日( 土 )

創業家を軸にした社長交代のケーススタディー~サンリオ、ツルハHD、松井証券の三社三様(前)

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 トップ交代がうまくいく会社は栄える。だが、いうは易く、行うは難しとはこのこと。創業家にとって、もっとも悩ましい問題だ。創業家を軸にしたトップ交代には3通りある。1つは、創業家一族への交代。2つは、非同族から創業家への返り咲き。3つは、創業家から非同族へのバドンタッチ。この3つのパターンを考えてみよう。

サンリオ:創業者から孫への社長交代

 6月12日、ハローキティなどのキャラクターで知られるサンリオは、1960年の創業以来初となる社長交代を発表した。創業者の辻信太郎氏(92)から孫の辻朋邦(ともくに)専務(31)に7月1日付で代わる。信太郎氏は代表権のある会長に就く。

 朋邦氏は、2011年、慶応大学文学部を卒業し、14年にサンリオに入社。企画やマーケティング部門の幹部として経験を積んできた。「ハローキティ」「ポムポムプリン」「シナモロール」など、保有するキャラの競争力を高める戦略を推進している。
 朋邦氏は、この日の会見で「単なるキャラクタービジネスではなく、すべての人に価値を与えられるグローバルエンターテインメント企業に成長させていきたい」と語った。

 なぜ、創業者から孫への社長交代か。信太郎氏の後継者であった長男が急逝したためだ。同族経営を死守するために、孫が事業経験を積んで成人に育つまで、社長を続投した。

最大の痛恨事~後継者の長男逝去

 辻信太郎氏は桐生工業専門学校化学工業学科(現・群馬大学工学部)を卒業。49年に山梨県庁に入庁。60年8月、同県の物産である絹製品を販売する外郭団体だった山梨シルクセンターを(株)化して社長に就いた。33歳、事業人生の始まりである。

 73年、社名を国際的に通用しやすい「サンリオ」に変更。スペイン語で「聖なる河」を意味するSan Rioに由来する。
 74年11月、ハローキティが誕生。ハローキティは”カワイイ”と人気キャラクターになり、サンリオに急成長をもたらした。サンリオの黄金期は90年代後半だ。女子高生の間でハローキティのグッズを買い集めて自室に飾る”キティラー”現象が巻き起こり、爆発的に売れた。

 だが、ブームが去り、2000年代、サンリオは冬の時代を迎える。02年10月、信太郎氏の長男、邦彦氏が副社長に就いた。邦彦氏は、1人の人物をスカウトする。鳩山玲人(れひと)氏、元総理・鳩山一郎氏の親族だ。08年にハーバード・ビジネススクールでMBAを取得した鳩山氏を、米国法人COO(最高執行責任者)に招いた。

 邦彦氏と鳩山氏は、北米で物品販売からハローキティのライセンス収入にビジネスモデルを転換。ライセンスビジネスとは、ハローキティの商標使用権を他社に供与してロイヤリティ(使用料)を得る事業だ。この転換は大成功。4期連続の営業増益を快走し、サンリオはライセンスビジネスで稼ぐ企業に大変身した。
 しかし、13年11月19日、海外事業担当副社長・邦彦氏が出張先の米ロサンゼルスで急逝した。邦彦氏は信太郎氏の長男で、社長を引き継ぐことは既定の路線だった。

 「販売を重視し、ライセンスビジネスでない方向に重点を置く」。信太郎氏はドル箱に育ったライセンスビジネスから、元のグッズ販売会社に戻るという”先祖返り”を行った。
 信太郎氏の方針で物販販売が強化され、ライセンスビジネスは後方に追いやられた。サンリオが16年6月に開催した株主総会で鳩山氏は常務を退任。信太郎氏の孫、朋邦が取締役に昇格。信太郎氏は最大の功労者の鳩山氏を切り、孫を後継者に据えた。

 信太郎氏の事業承継計画は長男の邦彦氏を失ったことで、すべてが狂った。サンリオを辻一族の会社として継続させることに執念を燃やした。それが孫への社長交代だった。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

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