2024年04月20日( 土 )

新型コロナ禍対策に見る〈政対官〉〈中央対地方〉の「ちぐはぐさ」の正体(3)

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前衆議院議員 緒方 林太郎

 新型コロナウイルス(COVID-19)についての日本政府や各地方自治体の動きについては、これまでもさまざまな評価があると思います。今回、政治・行政の観点から、自分自身の目に見えていることを取りまとめて寄稿することにしました。なお、私は政治に携わる者であり、立ち位置は現野党に近いですが「批判のための批判」は一切しないようにしています。また、第一次資料に接しているわけではありませんので推測の部分が多いです。ただし、外から見ていて「最もあり得る分析」を書くように努めました。
(※4月30日記)

垣間見えた、国と都知事の「ガチンコ」対決

 また、別の論点として、この新型インフルエンザ等対策特別措置法については、法律起草者、現政権、地方自治体の首長との間での考え方の違いが明らかになっています。

 もともと2012年に法律をつくった時、全国知事会から「知事の権限を強くするように」との要望がなされています。実際、法律を見ていると、都道府県知事に大きな権限を付与するようになっています。緊急事態発令時、国にあるのは総合調整の権限です。そして、総合調整がうまくいかず「特に必要があると認めるときは、その必要な限度において」指示をすることができます。これはかなり例外的な事態でしょう。また、国は基本的対処方針を作成することが求められています。逆に言うと、国にできるものとしてはこれらのことくらいしか法律に書いていないのです。例をあげると、外出制限や施設等の使用制限(いわゆる休業)の要請を出す主語は法律上「都道府県本部長(知事)」です。

  しかし、実際の動きはそうなっていません。基本的対処方針を細かく書いたり、各種のガイドラインを通じたりして、地方自治体の足並みを政府の考える方向に画一的に揃えさせようとしていることがよくわかります。また、予算配分というツールを使って地方自治体の対策に影響をおよぼそうともしていました。

 たとえば、東京都知事が緊急事態に基づく休業要請をしようとしたとき、国がそれを止めました。緊急事態を発令している以上、国にその権限はないはずです。担当相と東京都知事との激しい協議の上、緊急事態に基づかない休業要請ということで落ち着きました。恐らく東京都知事は「何の権限があって国は口を挟んできているのか?」という思いで協議したはずです。協議後の記者会見を見ていると、最後は捨て台詞のように言い放って協議が終わったことをうかがわせました。

 結果として今出されている休業要請は法律上の緊急事態に基づいて出されたものではないため、とても歪(いびつ)なものです。財源などで非常に強い立場にある東京都知事ですら、政府からの掣肘(せいちゅう)を撥ね返すことはできませんでした。それ以外の道府県ではなおさら政府の意向に沿わない動きをできるはずがないのです。

 予算面でも、地方に渡る「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」の使途を、当初は休業補償に使わせないと言っていたのも同じ文脈です。予算というツールを使って地方自治体の対策に足枷を嵌めようとしたわけです。

 ここに法律起草者、現政権、地方自治体の首長の間での思いのずれがあります。「権限をもってやれる。法律にもそう書いてある」と思っている側(法律起草者、地方自治体の首長)と「政府がガッチリと統括する」と思っている側(現政権)のずれは、今回のすべてのプロセスでずっと障害になってきました。大阪府知事や橋下徹さんは「法律の仕立てが悪い」と言って批判していますが、ああいった発言はもう少し深読みする必要があります。ホンネは「国がガチャガチャ言ってきて煩わしい」と言いたいのですが、政治的な立ち位置からそれが言えないので法律の仕立てに不満をぶつけているのです。しかし、その法律自体はかなり都道府県対策本部長(知事)に権限を与えるものになっていることは改めて確認しておきたいと思います。それを乗り越えて口を出してきているのが現政権ということです。

チームとしての内閣官房の機能不全

 今回の一連のオペレーションを見ながら、非常に気になるのが内閣官房の機能不全です。もっと言えば、内閣官房長官が統括していないことがよくわかります。外から見ていて、菅官房長官が本件で強いイニシアティブを振るっているようには見えません。総理と官房長官の関係が悪く、総理補佐官が中心となってやっているということも聞こえてきます。

 その証左として、官房長官会見を見ていると、重要な意思決定について「承知している」という表現が出てきます。役所用語で「承知している」とは「自分は意思決定に関与していないが、そう決まっていると聞いている」という意味合いであり、意思決定の中心から距離を取るときに使うものです。役所用語に慣れた者からすると、官房長官がこの用語を使うたびに耳にジャリっとした音がして「おかしい」と気付きます。

 しかし、官房長官が機能しないと政府全体が機能不全を起こします。官房長官というのはほとんど担当のない大臣であり、基本的な役割は「政府全体の調整」です。担当をもつことなく全体に目を配らせながらグッと締める役割といえばわかりやすいでしょう。「内閣の要」といわれる由縁です。くれぐれも誤解してはいけないのは、スポークスマン業務を担当としている大臣ではないということです(今はそれに近いですが)。

 主要政策の練り上げには、官房長官の所で各省庁の知見を結集して下ごしらえをすることが必要です。少し前まではこの仕組みが非常にうまく行っていました。この機能不全により巨大な中央省庁が統括できなくなっていきます。相互調整が不十分なまま、バラバラに政策が打たれるようになっていきます。言ってみれば理路整然と隙間なく「縦割り」されたそれではなく、〈スカスカに隙間の空いた〉縦割りが生じているように見えます。一例として、3月中旬くらいに厚生労働省が「オーバーシュート」を警戒するメッセージを出し、一方で文部科学省は休校解除の話をしていましたが、あれこそが〈スカスカ〉さの象徴でした。

 この役割を総理補佐官が代替することはできません。総理補佐官は実力者だと思いますが、どこまで行ってもやはり総理の黒子です。総理の権威にのみ依拠する存在であるという観点からも、国務大臣たる官房長官に比べて内閣全体を統括する力には欠けます。それが「国務大臣」の重みというものです。

 たとえば現在、厚生労働大臣と新型コロナ担当内閣府特命担当相の2名の国務大臣が最前線に居ます。厚労大臣だけでは事務量が膨大で対応できないから、もう1人国務大臣を置いているということなのでしょうが、この大臣間の調整を誰が付けているのでしょうか。そもそも、それぞれの大臣が何を担当するのかすら調整できているように見えません。こういう時、通常なら官房長官がその役割を担うはずですが、その基本が崩れている可能性が高いのです。

 もし好意的に見れば、総理のトップダウンで物事が決まっていると言うこともできますが、私の目には「なんでもかんでも総理(と総理補佐官)のトップダウンで決まっている」ようにしか映りません。実際、厚労省の知人は「省内で名前を聞くのは総理補佐官の名前ばかり」とこぼしています。総理と官邸官僚がすべてを決めて、役所にどんどんタマを落としているのでしょう。しっかりとボトムアップで積み上げ、最後にトップダウンで落とすのが理想的な姿ですが、そのボトムアップを担当する内閣官房の機能が著しく低下しているのです。

 結果として、指揮命令系統がバラバラになっています。たとえば、あの「マスク2枚」の政策を実質的に仕切ったのは経済産業省です。現在の政務総理秘書官兼総理補佐官が同省出身である等の事情から、官邸の独断で決めたものを経産省が受けるケースが増えてきています。「厚労省を絡めると、必要性などでうるさいことを言う」からなのでしょうが、属人的に物事が動くようになっていくと組織そのものがおかしくなります。経産省のチームはマスクを調達し、それを配布するところまでを取り仕切れば終わりですが、世間的には本件に関して厚労省に矢が向いているはずです。意思決定に関与せず、後始末だけを求められる厚労省には無力感が漂っているでしょう。

(つづく)


<プロフィール>
緒方 林太郎(おがた・りんたろう)

1973年北九州市八幡西区生まれ。福岡県立東筑高校を経て東京大学入学。94年に東京大学法学部を中途退学、外務省入省。2005年外務省退職。09年衆議院議員初当選。14年衆議院議員2期目当選。17年落選。

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