2024年04月24日( 水 )

100年前の危機の時代に立ち向かった北里柴三郎と大倉和親の快挙(後)

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 最近よく目にする言葉に「スペインかぜ」がある。第1次世界大戦末期の1918(大正7)年から1920(大正9)年に世界各国で多くの死者を出したパンデミック(感染爆発)である。国内では人口5,500万人のうち4割強の2,300万人の患者と38万人の死者があった。新型コロナウイルスの感染は、まだ序の口にすぎない。第2波、第3波がくるといわれている。1世紀前の危機に立ち向かった人物を取り上げる。テルモ(株)創設の発起人・北里柴三郎、(株)サカタのタネと(株)INAX(現・(株)LIXIL)の設立を支援した大倉和親である。

TOTOなどのセラミック王国を築いた大倉和親

 大倉和親(かずちか)は、サカタのタネ、INAX(現・(株)LIXIL)のエンジェルである。エンジェルとは、創業間もないベンチャー企業への資金提供と経営アドバイスを行う個人投資家のこと。
 大倉は1875(明治8)年、東京・日本橋の生まれ。1894(明治27)年慶應義塾本科を卒業、森村組(後の森村財閥)に入社した。我が国貿易業の草分けである森村市左衛門は、友人福沢諭吉の「日本から流出している金銀を取り戻すには、輸出を振興するしかない」との主張に共鳴し貿易を志す。主力商品は陶磁器であった。

 森村市左衛門は1904(明治37)年設立の日本陶業(名)(現・(株)ノリタケカンパニーリミテド)代表社員(社長職)に、青年の大倉和親を抜擢した。大倉が心血を注いでつくり上げた陶磁器の「ノリタケ」こそ、戦後の「ソニー」「トヨタ」などに先駆けた日本初の“世界ブランド”だ。

 大倉経営の大きな特徴は「一業一社」。日本陶器が衛生陶器の国産化にメドをつけると、小倉工場(現・北九州市)を分離独立、17(大正6)年に東陶機器(現・TOTO(株))を設立し、初代社長に就いた。大倉は、日本碍子(株)(現・日本ガイシ(株))、日本特殊陶業(株)などを育て、セラミック王国の森村グループを築いた。

サカタのタネに支援の手を差し伸べる

 『20世紀 日本の経済人』(日経ビジネス人文庫)は、大倉和親とサカタのタネの関わりについて、こう綴っている。
 「もし、大倉和親がいなければ、存在しなかったかもしれない意外な企業がある。サカタのタネだ。創業者の坂田武雄が大倉の追悼文に経緯を記している。大正期に農産種子の輸出を始めたが、資金繰りに行き詰ってしまった。知人を通じて大倉に資金援助を申し入れる」。

 大倉は「自分にはわからないが、とにかく新しい仕事で、しかも外貨が得られるのなら、日本国に役立つ」と快諾。加えて、自分の仲間にも声を掛け、森村市左衛門の二男、開作が出資することになった。22(大正11)年、匿名組合・坂田商会が発足。後に大倉は組合員代表に就任している。

 坂田は大いに事業を拡張するが、23年の関東大震災で店舗を焼失するなどの打撃を受け、輸出手形が不渡りになって銀行融資が止まってしまった。再び、大倉に泣きつき、富士紡積(株)の株券を借用、銀行に担保として差し出した。

 戦後恐慌と関東大震災の2回、大倉和親は坂田武雄に支援の手を差し伸べたのだ。
 世界各地で花と野菜の種子を生産しているサカタのタネは、国内トップ、世界第6位の種苗メーカーだ。ブロッコリーの種の世界シェアは約65%を誇る。100年前、大倉和親と坂田武雄の出会いがなければ、今日のサカタのタネはなかったかもしれない。

伊奈製陶の株の75%を無償で分け与える

 同じような経緯の、もう1つの会社はINAX(旧・伊奈製陶(株)、現・(株)LIXIL)だ。創業者・伊奈長三郎は土管の製造に取り組んだ。しかし、資金がない。21(大正10)年に匿名組合を設立して、大倉和親に出資を仰いだ。大倉は「この土管が日本の建設業の進歩に役立つのなら」とこれに応じた。
 だが、伊奈の事業は赤字続きで、大倉は自分の土地を売って穴埋めをした。資金は貸したのでなく、くれてやったのだ。

 24(大正13)年、(株)への組織変えで会長になった大倉が、47(昭和22)年に伊奈製陶を退く時、従業員に残した「ひとこと」がある。「これという仕事をしないうちに年をとり、職を退きます。心からの感謝の気持として、伊奈製陶の株を皆さまに差し上げます。世人から『立派な会社よ』といわれる日が来るのを楽しみに、私は余生を送ります」。

 大倉は伊奈製陶の発行株式の75%を保有していたが、持ち株を全部無償で分け与えた。株の力で伊奈製陶を自分の会社にすることもできたが、そうはしなかった。余人にマネのできることではない。明治生まれの経営者には凄い人がいると驚嘆した。

 戦時恐慌に突入した21(大正10)年、大倉和親はエンジェルとして、サカタのタネの創業者・坂田武雄とINAXの創業者・伊奈長三郎を支援した。
 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で、世界的な大不況に突入することは避けられない。こういう時期だからこそ、若手起業家を支援するエンジェルの出番だ。
「出でよ、令和の大倉和親!」。
(敬称略)

(了)

【森村和男】

(前)

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