2024年04月24日( 水 )

【特別寄稿/西田亮介】冗長性の欠如がもたらしたもの 「民意」に揺さぶられるリスクマネジメント(前)

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東京工業大学 准教授 西田 亮介

民意至上主義が生んだ「耳を傾けすぎる」政治

西田 亮介 氏

 新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延は、これまで幾度も地震を始めとする自然災害に見舞われ、屈指の備えと対応力を有するはずの日本社会にも大きな影響を与えている。それは自然災害と異なる感染症ならではの「伝染」に起因する。伝染が不安を呼び、不安もまた伝染しながら拡大し、疑心暗鬼を招来した。ただでさえ、実質的な行動制限とその共有が被害者意識を生み出しているが、その矛先は政府と政策、専門家に向かい、過剰不信を引き起こした。

 政府も3月後半以後、内閣支持率が急落し、従来からネット上の「民意」に強い関心を寄せる政権だが、ますます「民意」の行く末を気にし始めた。ネット上の言説は統計的な補正を受けたものでもなく、書き込み量と実在の人物の関係も不明確である。控え目に見てもあくまで「民意」の部分的な側面に過ぎず、むろん自由民主主義の社会ゆえに自由に政治を論評し、主張すればよいわけだが、合理性や整合性、正確性が反映されたものではないことに注意も必要だ。
 加えて、テレビ(の制作陣)がネットの評判に注目し、ネットはテレビでの放映や露出を権威付けとみなす、日本独特のネットとテレビの共犯関係がある。そのなかで、徐々に合理性や適格性に欠いた「民意」を過剰に重視し、「民意に耳を傾けすぎる政治」が生まれた。

 「民意に耳を傾けすぎる政治」というとき、含意されるのは何も政府与党に限らない。原理原則がなく、実質をともなわない、我々の社会の合わせ鏡の政治全体のことを指している。東京都知事の「オーバーシュート」「ロックダウン」という表現もまた同様に人々の不安感を招致し、日本で行われた新型インフルエンザ等特措法における「新型インフルエンザ等緊急宣言」は、他国において行政権の拡張や戒厳令的側面を含む国家緊急事態と重ねて報じられたりもした。

 緊急事態宣言とともに発出された「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」やそれ以外にも耳目を惹くが、しかし根拠と効果が不明確な給付措置に注目が集まった。さらにそれらを土壇場で修正したうえに、補正予算成立も遅れたため、ますます政治不信が広まった。批判する側もそうで、過去の災害救助法などに倣った新型インフルエンザ対策特別措置法は医療関係者や臨時の医療施設を念頭に置いて補償が設計されていた。本当に必要であれば立法措置が取られてもよかったはずだが、批判側も「自粛と補償」を声高に繰り返すだけで法改正には向かわなかった。

暴走する民意にかき消された弱者の声

 そもそも日本には300万社を上回る中小企業が存在する。国家賠償法が規定するのは国家が直接損害を与えた事態における被害救済だ。実際には200万円の給付がどの程度効果があるのかは、はっきりしない。家賃に特化した支援などもいわれるが、数多の固定費のなかでなぜ家賃だけ支援するのかはまったく自明ではない。その一方で、国が「くれる」というものを、少額だとして断る理由もまた特段存在しないだろう。新型コロナウイルス感染症の影響が大きいとしても、それでも業界や業態、企業の努力によっては売上を大きく伸ばした業界もある。PCや周辺機器販売や配達事業などだが、時局柄、声高に「儲かっている」と口にする人は多くはないだろう。強烈な社会的非難の対象になりかえないからだ。

 その背後で忘れられた真の社会的弱者もいる。母子家庭や生活保護受給世帯などがそうだ。こうした世帯や高齢の生活保護受給世帯もそうだが、世帯の人数は多くないことが知られている。食費や光熱費などは世帯人数に単純に比例して増加するわけではないが、「民意」を汲んだ特別定額給付金は世帯の人数に比例して増額される。はたして、本当の困窮者の一助になるだろうか。ただでさえ、声を挙げるのが難しいという事情もあるだろう。声を挙げなかったとしても、国や社会は積極的にこうした本当に困っている人への配慮を手厚くすべきだったが、そうなっているとは言い難い現状がある。

 思い返してみれば、景気悪化のたびごとに、企業に公金を投入するようだと必ず規模や頻度、対象の議論になり、際限がなくなってしまいかねない。バブル後の主に大手企業の救済のために公金が投入された際には、その公平性について、大きな批判が寄せられた。自由経済と営業の自由の観点から、災害復興では法に定められたものを除き、とくに民間企業向けの復旧復興支援は好条件の貸与を中心としたものだった。生活者向けの給付措置をもつ被災者生活再建支援法に基づく被災者生活再建支援制度にしても、原資は都道府県が供出して運用し、基準と使途を定めた慎重な運用がなされてきた。

 これらの前例確認や多角的な議論は、今回ほとんどなされることはなかった。今回も明らかになったように、「耳を傾ける政治」は「民意に寄り添う」ことを理由に、妥当性や効果をあまりに安易に捨て去ってしまう。民意に反して有権者を説得するのは大変手間がかかるだけに、最近のインスタントな政治家たちの志向とも合致する。しかし非効果的な政策のツケはいずれ国民が払うことになる。少子高齢化と経済成長の低迷によって、国家予算における裁量的経費の割合が小さく、今回も赤字国債が発行される。将来の政策裁量を狭めるか、いっそうの増税は不可避となるだろう。

 2011年の東日本大震災の復旧復興に要した多額の予算はいまも所得税の復興加算として今後も払い続けていくことになる。なお企業向けの復興加算は前倒しで、わずか2年で終了したことも付言しておく。かくして、「耳を傾けすぎる政治」は効果不明の政策を「民意」を理由に乱発し、債務を膨らませがちだ。

(つづく)


<PROFILE>
西田 亮介
(にしだ・りょうすけ)
東京工業大学准教授。博士(政策・メディア)。1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同助教、(独)中小機構リサーチャー、立命館大特別招聘准教授等を経て現職。専門は社会学。『メディアと自民党』『マーケティング化する民主主義』『無業社会』等著書多数。その他、総務省有識者会議、行政、コメンテーター等でメディアの実務に広く携わる。

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