2024年04月19日( 金 )

【川辺川ダムを追う/特別寄稿】川辺川ダムが「予定通り」作られていれば、死者の多くが「救われていた」はずだ(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
京都大学 大学院工学研究科 教授 藤井 聡 氏

 本原稿は、メルマガ「三橋貴明の「新」経世済民新聞」(7月11日)として配信された内容を基に、著者の了解を得て、編者が加筆・編集したものです。

(4)命運を分けた「東の八ッ場、西の川辺川」

京都大学 大学院工学研究科 教授
藤井 聡 氏

 川辺川ダムの建設を最終的に中止したのは、時の政権であった民主党政権でしたが、そのとき盛んに無駄の代表として言われていた言葉が、「東の八ッ場、西の川辺川」でした。両者とも建設中止となったのですが、八ッ場ダムは、「幸い」にして民主党政権下で建設が再開され、昨年10月から共用が開始されました。そして、そのわずか10日あまり後に襲来した台風19号による関東平野の未曾有の大洪水を防ぐために、大きな役割をはたしたのです。従ってもしも、この川辺川ダムも当時中止されていなければ、今回の球磨川エリアの大洪水を防ぐために大きな役割をはたしたはずだったのです。

 球磨川には、市房ダムというものがすでにありますが、その洪水調節能力は川辺川ダムの1割程度しかありません。従って、洪水調節にはやはり川辺川ダムが必要不可欠だったわけです。もちろん、今回の観測史上最高と言われた今回の豪雨によるすべての氾濫を防ぐことは困難だったかもしれません。しかしそれでも、それだけ大量の水を上流側でせき止めておけば、その被害を大幅に減ずることができるのは明白。しかも今回2カ所で起こった「決壊」という最悪の事態は、大なる可能性で回避できていたでしょう。つまり、もしも川辺川ダムさえあれば、氾濫を大幅に軽減して決壊を未然に防ぎ、ここまで多くの死者を出すこともなかったに違いないわけです。

 つまり、いわゆる「ポピュリズム政治」のなかで、その時々の「世論の空気」に流されて、技術的検討を度外視して下してしまった政治決定は、時にこれだけ多くの人々の命を奪い、街そのものを破壊しつくす帰結を導き得るのです。
 ついては熊本県、そして政府の関係者には、こうした哀しい歴史を二度と繰り返さぬ決意の下、今後何をなすべきなのかを誠実にご検討いただき、可及的速やかな対策を進めていただきたいと思います。次なる豪雨でさらに多くの方々の命が失われてしまった後でどれだけ悔やんでみても、時すでに遅しとなる他ないのです。

 長い年月をかけてつくられる公共事業はとかく「無駄」なものといわれることが多いもの。従って、公共事業をめぐっては今回の「川辺川ダム」のような悲劇が数多くあるのです。日本の未来は、そんな悲劇を1つひとつ乗り越えない限り訪れ得ません。

(了)

【編集:大石 恭正】

(前)

月刊誌 I・Bまちづくりに記事を書きませんか?

福岡のまちに関すること、再開発に関すること、建設・不動産業界に関することなどをテーマにオリジナル記事を執筆いただける方を募集しております。

記事の内容は、インタビュー、エリア紹介、業界の課題、統計情報の分析などです。詳しくは掲載実績をご参照ください。

企画から取材、写真撮影、執筆までできる方を募集しております。また、こちらから内容をオーダーすることもございます。報酬は1記事1万円程度から。現在、業界に身を置いている方や趣味で再開発に興味がある方なども大歓迎です。

ご応募いただける場合は、こちらまで。その際、あらかじめ執筆した記事を添付いただけるとスムーズです。不明点ございましたらお気軽にお問い合わせください。(返信にお時間いただく可能性がございます)

関連記事