2024年03月29日( 金 )

コロナとニューヨーク~イーストサイド・ストーリー(前)

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大嶋 田菜(ニューヨーク在住フリージャーナリスト)

黒人解放運動家を生み出したイースト・ハーレムの西側

 初秋の青空を、小さな飛行機が通り過ぎた。機体の尾から大きな布が垂れており、布には「融資します」との巨大な文字でひらひらと風になびいているのが見えた。

 ニューヨークの青空に向かって、何軒もの赤煉瓦のビルが勢いよく伸びている。まったく同じように見える赤煉瓦のビルが並び、いくら歩いてもまるで無限に続くような気がする。そんな独特な場所といえば、マンハッタンでは1つしかない。ハーレムだ。ニューヨークでは赤煉瓦は公営住宅の色なのだ。

 ハーレムと言っても、イースト・ハーレムとウェスト・ハーレムでは大きく異なり、この赤煉瓦のビルが立ち並ぶ街はイースト・ハーレムだ。イースト・ハーレムの西側は、歴史的に見ても黒人文化のテリトリーで、マルコム・Xやジェイムズ・ボールドウィンなどの黒人解放運動家を生み出している。この西側と東側を分けている大通りが、まさに「マルコム・X通り」だ。

 イースト・ハーレムは黒人街ではあるが、そこに住んでいるのはほとんどがプエルトリコとドミニカ共和国から20世紀前半に移民した人々である。そのため、スパニッシュ・ハーレムと呼ばれたり、時にはスペイン語で「近所」を意味する「エル・バリオ」と呼ばれたりもする。コロナ発生後、初めてイースト・ハーレムを訪れたときには、懐かしいカリブ海の柔らかいスペイン語が聞こえてきた。

意外と普通なイースト・ハーレムの日常

 子どもたちが上空で「融資します」と書かれた幕を垂らしている小さな飛行機を指差しながら、公園で騒いでいる。コロナで不景気のために緊急融資を受けて必死に生活している人が急増しているに違いない。今までゆとりのある暮らしをしていた人々でさえ、緊急融資が必要となっている。知り合いの産婦人科医は「コロナのせいでやはり患者が減って、お金がほとんど入らなくなった」と言っていた。

 浮浪者もコロナ前よりとても多くなった。ニューヨークのロックダウン以来、オフィスが閉まったままのミッドタウンあたりも今ではホームレスが多く、ニューヨークなら必ずどこにでもある足場の下に住んでいる。

クチフリート店(上)とクチフリート(下)

 ミッドタウンと異なり、イースト・ハーレムはもともと住宅地。ほかの場所と比べれば、案外普通に近い日常を過ごしている。道端で、スペイン語で声をかけ合っている人々。買ってきたものを小さなカートに入れて運んでいるおばあちゃん。カリブなまりの歌を聴きながら自動車を磨いているおじさん。トーマス・ジェファーソン・パークでジョッギングしたり、サッカーボールを足で蹴っていたりする若者や子どもたち。みな、日曜日の青空を楽しんでいる様子だ。

 もちろん、コロナのために閉じてしまった店がないわけではない。とくに、屋外のダイニング席を準備できるほどの余裕のないレストランは閉店してしまった。一方で、日本の小さなラーメン屋ぐらい狭いカリブ海料理で人気の高い有名店などは相変わらず営業している。昼になると、その正面の窓口にはプエルトリコ名物のクチフリートを注文する人々がマスクをしてお互いに1m半のソーシャルディスタンスをきちんと守りながら並んでいる。人々はみな近隣に住んでいるに違いない。他の地域からこのようなマンハッタンのはずれにまで、来る人はめったにいないためだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 田菜
(おおしま・たな)
 神奈川県生まれ。スペイン・コンプレテンセ大学社会学部ジャーナリズム専攻卒業。スペイン・エル・ムンド紙(社内賞2度受賞)、東京・共同通信社記者を経てアメリカに渡り、パーソンズ・スクールオブデザイン・イラスト部門卒業。現在、フリーのジャーナリストおよびイラストレーターとしてニューヨークで活動。

(後)

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