2024年04月26日( 金 )

ベーシックインカム制度を考える

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 NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事を抜粋して紹介する。今回は、「共生の経済政策では、最低賃金の引き上げ、生活保護の水準、学費に対する公的支援の在り方を検討する際に、すべての人に納得感のある、きめ細かい制度設計が非常に重要」と訴えた10月30日付の記事を紹介する。


10月28日の政策連合主催「政策連合で政権交代-総決起集会&松元ヒロ公演-」ですばらしい公演をして下さった松元ヒロさんが「アリとキリギリス」のイソップ寓話について話をされた。

日本での「アリとキリギリス」は次のようなもの。

暑い夏、アリは汗水流してせっせと働いた。
キリギリスは歌を歌い、踊りを踊って楽しく遊んで暮らしていた。
冬になって一面が雪に覆われたころ、アリは温かい家で夏に蓄えた食べ物を美味しく食べてくつろいでいた。

そこにやせ細ったキリギリスがありの家のドアをノックした。
「何か食べ物を分けてくれませんか」
アリはキリギリスにこう言った。
「キリギリスさんは外で歌を歌って踊るのが好きなんだから、ぜひ歌を歌って踊りを楽しんだらいかがですか」

ところが、海外の「アリとキリギリス」は違うのだそうだ。

冬になってアリの家のドアをノックしたキリギリスにアリはこう言った。
「キリギリスさん、どうぞどうぞ中に入って。おいしい食べのものがたくさんあるからどんどん召し上がって。キリギリスさんが歌を歌って踊りを踊ってくれたら、みんなで楽しくすごせますから」

せっせと働くのも1つの仕事だが、歌を歌い、踊りを踊ることも人を楽しませる大切な仕事なのだとアリは知っていた。

私たちは共生社会を目指している。
「誰もが笑顔で生きてゆける社会」を確立すること。
大切なことだ。

しかし、具体的にどのように「誰もが笑顔で生きてゆける社会」を実現するのかという点になると難しい問題も浮上する。
弱肉強食社会を推進する現在の政治の流れに危惧を感じる。
だが、一方で、弱肉強食社会を肯定する人々が少なからず存在することも事実。

何の努力もしないで遊んで暮らしている人と汗水流して一生懸命働いた人が同じ処遇を受けるのはおかしいと考える人は多い。
努力をしてもしなくても結果が同じということになるなら、努力をする人がいなくなってしまう。
人々のやる気を失わせる仕組みは良くないと考える人は多い。

ただ、問題を考えるときに、これだけで判断することはできない。
現実の報酬は努力の多さに比例しているとは言い切れないからだ。
成功と失敗の原因が本人の努力に完全に比例するとはいえない。
そうではない3つのケースを考えておくことが必要だ。

1.競争をする条件が均等でないこと。
富裕な環境で生まれれば、教育を含めて本人に付与される初期条件が圧倒的に有利になる。
この初期条件が結果としての報酬に強く影響する。

2.これと類似するが、人に与えられる天賦の条件も異なる。
持って生まれた状況が恵まれた人もいれば、そうでない人もいる。

3.結果として得られる報酬が不正によって獲得されたものであることも少なくない。
結果における巨大な格差をそのまま放置することが持つ矛盾は大きい。

一生懸命に努力すれば得られるものがある。
なまけて遊んでいれば、その影響は本人に降りかかる。
この原理を全面否定することは是認されないと考えられるが、市場経済にすべてをゆだね切ることも正当でない。

努力をしているのに正当な報酬を得られない場合も多い。
さまざまな初期条件の制約で得られる果実、報酬が少ない場合も多い。
巨大な格差を放置すると、その格差はますます拡大する傾向も存在する。

これらをすべて含めて考えると、富の分配、所得の分配に何らかの調整を行うことが必要になる。

問題は、多くの人が納得できる再分配のルールをどのように定めるのかだ。
最低賃金の引き上げ、生活保護の水準、学費に対する公的支援の在り方を検討する際に、この視点が極めて重要になる。

最低賃金を全国一律で1500円、に引き上げることを政府の支援によって実現する。
年間総労働時間が2000時間であれば、最低賃金は年収300万円をもたらす。

現行の最低賃金は792円。
年間2000時間労働でも年収は160万円に届かない。
最低賃金を1500円、に引き上げる施策の意味は絶大だ。

全国一律とすると地方で働くインセンティブが増大する。
地域活性化に寄与することは間違いない。
最低賃金は生活保護の算定基準と連動する。

このとき、生活保護の水準を最低賃金から算出される水準よりもやや低位に抑制することは検討に値するだろう。

奨学金を背負って社会人になる若者の負担が大きい。
奨学金の返済負担を免除する「徳政令」が実施されれば、奨学金の負債を背負う若者の負担は軽減される。
当然、大歓迎されるだろう。

しかし、他方に、一生懸命アルバイトをして働き、そのお金で苦学して大学を卒業した人も多数存在する。
奨学金を背負った人だけが債務を免除されれば、強い不公平感が生じる。

すべての国民に最低年金を保障して年金を支給するとき、保険料を支払ってこなかった人が受け取る年金の金額と、なけなしのお金を支払い、年金を満額受給する人の受取金額が同額になれば、保険料を支払ってきた人から強い不満が発生する。

生活保護に対する強い批判は、汗水流して懸命に働いて、少ない年収を得ている人の立場から見える、自分と同水準の生活保護受給水準に対する不公平感が背景にある。

「民は貧しきを憂うのでなく、等しからざるを憂う」
共生の経済政策は重要だが、すべての人に納得感のある、きめ細かい制度設計が非常に重要になる。

10月16日付日本経済新聞「経済教室」欄に同志社大学教授山森亮氏が小論を寄稿された。
ベーシックインカムとほかの所得保障制度の違いを図解されていた。

最低所得保障制度はすべての人に最低所得を保障するもので、所得がゼロの人には最低所得全額が公的に扶助されるが、自分で最低所得を獲得している者には資金が公的に扶助されない。
どちらも、調整後の所得水準は同じになる。
これに対してベーシックインカムは、すべての人に同額を扶助するもの。

所得がゼロの人はベーシックインカムが調整後の所得総額になるが、自分で所得を得ている人はベーシックインカムが自分の所得に上乗せになる。
高額所得者もベーシックインカムを受け取ることになる。

こちらの方式のほうが、不公平感の生じる可能性が圧倒的に小さくなる。
奨学金徳政令についても、すべての大学卒業生に同額を付与すれば、不公平感は小さくなるだろう。

問題は、ベーシックインカム方式で、すべての人に十分な所得を保障することになると、そのために必要な金額が膨大になること。
その財源をどのように調達するのかが問題になる。

政府が打ち出の小槌を有しているわけではない。
無制限、無尽蔵に財政赤字を拡大しても構わないと主張する者は少数だ。

ここに、総合所得税制度による所得再分配機能を組み合わせることが重要だ。
ベーシックインカムにしろ、大学卒業生に対する資金支援にしろ、その収入を課税ベースに組み込むのである。

大学生の場合には、学費を負担している者が誰であるかを明らかにする必要がある。
親が学費を負担している場合には、親の所得に公的な学費負担援助を合算する必要がある。

高額所得者がベーシックインカムを受け取る場合、その金額を所得に合算して累進税率で課税すれば、受け取った金額の多くを税金で国に返納することになる。

累進税率に基づく総合所得課税方式の基本理念は「能力に応じた課税」である。
消費税のウェイトを下げて累進税率に基づく所得税を課税の中心に据える。

この所得税で十分な財源を調達できるなら高水準のベーシックインカム制度を導入することも可能になるだろう。
また、十分に高水準のベーシックインカム制度が導入されるなら、そのときには、ある程度の消費税負担も肯定されることになるだろう。

欧州で付加価値税率が高いことが是認されているのは、国家がすべての国民に保障する最低水準が十分に高いからだ。
「共生の経済政策」の中身を十分に詰めて提示することが重要だ。


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植草一秀の『知られざる真実』

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