2024年04月26日( 金 )

【凡学一生の優しい法律学】日本政治文化の死~安倍元総理の「秘書に騙された」は虚偽証言の続きか、「桜を見る会」問題(前)

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1. 安倍元総理大臣の「秘書に騙された」という証言は虚偽証言の続きか

(1)「人が犬を噛んだ話」以上に不合理弁解を認めた日本の検察

 日本のマスコミ・ジャーナリズムは犯罪の成否について、独自の見識や知識をもっていない。検察や警察のリーク情報を報道源とする「あてがい扶持」の姿勢(つまり御用報道機関、大本営発表報道機関)ですべての報道に臨んできたために、刑事法の素養をまったく欠いているのだ。

 日本のマスコミ・ジャーナリズムは、それゆえ「真実」には関心も興味もまったくないのが現実であり、そのための条理や論理力の研鑽に努めることもない。有力報道機関のみで排他的な記者クラブを構築し、権力と蜜月関係を築き、挙句の果てには毒にも薬にもならない話を「専門家」としてテレビでのたまうことを「双六の上がり」としている。

 このような国民不在の日本の政治文化にも、ついに終焉の時がやってきた。それが、総理大臣による異常な数の虚偽証言とそれを擁護する検察の出現である。権力の腐敗を弾劾すべき検察が権力に迎合・屈服するため、日本には社会正義はもはや存在しない。この腐敗は、「犬を噛んだ人」以上に稀有な実在となった配川博之被告人(安倍晋三元総理の公設第1秘書)の行状を精密に分析することで明らかとなる。日本のジャーナリズムには、刑事法の素養が期待できないため、読者は本記事で刑事法の基本的視点を学んでほしい。

(2)配川被告人の行為

 配川には、犯罪者としては極めて特殊な特徴がある。それは、動機なき犯罪者という点である。配川は、安倍元総理の政治資金で有権者接待費用を補てんした事実を隠蔽しても自らには何らの利益をもたらすものではないため、補てんした当時からすでに「身代わり犯」となる覚悟があったものと考えられる。いやそうではなく、政治資金規正法上の報告責任者となる公設秘書の心構えに「政治家本人のために身代わり犯となる」風潮が存在するのかもしれない。すべてを合理的に考えると、理解不能な事件である。

 配川は少なくとも過去4年間、安倍晋三後援会(事務所)の政治資金収支報告の責任者としての地位にあった。加えて、公的行事である「桜を見る会」の前夜祭をホテルで開催する主導者の地位にあった。一方、前夜祭は安倍事務所の主導で行われたが、金銭的な支出は一切ない、というのが安倍元総理の一貫した虚偽証言であった。安倍元総理によれば、安倍事務所の金銭的支出はないというこの一貫した主張は、配川に騙された結果の証言だという。ここでは、「安倍はいつだまされたのか」という重大な論点が発生しているが、論理的思考をしないマスコミはそのことに完全に無頓着である。つまり、配川の犯罪行為時と、配川の安倍元総理への欺瞞行為時には、時間として重大な矛盾があるのだが、これについては後述する。

 安倍元総理と配川の関係は、いうまでもなく雇用主と被雇用人の関係にある。なお制度上は、公設第1秘書は国が雇用する特別公務員であるが、それは給与の支払い方法を世間の目から誤魔化すための方便にすぎず、実態は完全な雇用関係である。

 このような上下関係にある人間関係において、下級者が上級者を欺いて公的な場所で虚偽証言をするように仕向けることがあり得るのか、とくに発覚した場合のリスクの巨大さを考えれば、配川ならずとも独自の判断でそれを行うことは条理に反する。また、その場合の下級者のメリットは何か。配川には何のメリットもないため、安倍元総理に命令されたとしか考えようがないのが、条理的判断である。

 このように、配川が独善的に安倍を騙したとする論理には、いくつもの矛盾、不合理がある。検察はこれら一切を不問にふしたため、検察が権力に迎合、屈服したことは明白である。

 とくに、配川は補てんの事実をなぜ隠蔽したのかと問われ、正直に記載すれば、安倍元総理が法令違犯に問われるためだと答えている。この証言が、犯人蔵匿罪の自白であることは明白である。そのため、検察がこれを不問にし、合わせてマスコミも不問にすることが、日本の法治主義が存在しないことの何よりの証拠である。

 学問的にいえば、配川の行為は政治資金規正法上の不記載罪の行為で、同時に安倍元総理の犯罪の隠蔽を図った犯人蔵匿罪の一所為数法(観念的競合)である。検察が、この犯人蔵匿罪の嫌疑をマスコミに一切リークしないことも、明らかな世論操作である。

(つづく)

(後)

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