2024年04月24日( 水 )

【企業研究】三越伊勢丹HD vs J.フロント~百貨店の王道を歩む三越伊勢丹、脱・百貨店へ突き進む大丸松坂屋(4)

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 新型コロナウイルスの感染拡大が個人消費に与えた影響は大きい。テレワークの広がりや外出自粛で都心部の集客力が低下した。百貨店が受けた打撃は大きくて深い。名門百貨店の復活はなるか。(株)三越伊勢丹ホールディングスと、大丸と松坂屋を傘下にもつJ.フロントリテイリング(株)を取り上げる。

メインバンクが押し付けた三越と伊勢丹の統合

 三越伊勢丹は百貨店の王道を歩む。しかし、三越と伊勢丹の統合は成功したとはいえない。はっきりいえば失敗だった。

 三越と伊勢丹の経営統合を仕掛けたのは、三越のメインバンクの三井住友銀行である。三越の業績悪化に業を煮やした三井住友銀行が三越に対して、「伊勢丹と組んで再生すべきだ」と迫ったという。三井住友銀行の主導権を旧住友銀行が握ったことが影響した。三越の伊勢丹への実質的な売却であるから、伊勢丹のメインバンクである三菱東京UFJ銀行(現・三菱UFJ銀行)は統合を受け入れた。

 ファッションの伊勢丹と伝統の三越。三越も伊勢丹も「企業風土があまりにも違いすぎる」として統合に消極的だった。それでもメインバンクの意向に逆らえなかった。2008年4月、持株会社、三越伊勢丹HDが発足した。

 近代百貨店の祖・三越のプライドを傷つけないようにするとの配慮から、社名は三越を先にした。持株会社の初代社長に三越社長・石塚邦雄氏が就いたが、実権は伊勢丹が握った。伊勢丹社長・武藤信一氏は09年6月、三越伊勢丹HDの会長兼最高経営者(CEO)に就き、全権を掌握した。

 三越と伊勢丹の統合は、当初から無理があった。双方が相思相愛で結びついたわけではない。銀行がすべてお膳立てした。それでも、百貨店として数段格上の三越が伊勢丹を呑み込むのであればまだしも、まるっきり逆。最初からボタンをかけ違えた。これが、その後の混乱をもたらすことになる。

ボーナス格差で三越と伊勢丹の対立が火を噴く

 10年1月、武藤CEOが急死。最高実力者の死で社内は大混乱に陥った。後任人事が発表になったのは、武藤氏の死去から8日後のことだった。

 三越と伊勢丹の妥協が成立したのだ。CEOを廃止し、集団経営体制に移行。持株会社は伊勢丹出身の橋本幹雄氏が会長、三越出身の石塚邦雄が社長(続投)となった。共同統治体制といえば聞こえはいいが、誰も責任を取らない無責任体制に陥った。

 新体制の大仕事は三越と伊勢丹の百貨店事業の統合だった。11年4月、合併新会社、三越伊勢丹が発足した。そして12年2月、持株会社三越伊勢丹HDの会長に石塚邦雄氏、社長に伊勢丹出身の大西洋氏が就任した。

 合併新会社、三越伊勢丹は船出した直後から逆風に見舞われた。

 三越伊勢丹の給与体系は合併後に一本化されたが、ボーナスの格差は凄まじかった。伊勢丹出身者の11年夏のボーナスは三越出身者の2倍以上と言われた。

 カネの恨みは恐ろしい。旧三越側は「同じ仕事をしているのに、なんでこんなに差が出るのか」と不満を募らせた。一方、旧伊勢丹側は「働かない三越勢に足を引っ張られている」との恨みが強かった。慶應大出身者が幅を利かせ、“おぼっちゃま”体質の三越と体育会系の伊勢丹では、肌が合うわけがなかった。ボーナス格差が対立の火に油を注いだ。16年夏になってボーナス格差はやっと解消した。

 伊勢丹が三越を吸収合併するのであれば、給与や人事を伊勢丹方式で一本化しなければならない。その場合、まず三越側に不利な条件をのませたうえで吸収するという段取りになる。これは吸収(救済)された側の悲哀である。トップが腹をくくって取り組むべき力仕事であり、共同統治という微温的な体制でやれるわけがない。

 両社の出身者にボーナスで格差をつけるという、お粗末なやり方だったので、かえって対立を際立たせた。

(つづく)

【森村 和男】

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