第一生命の保険金詐欺(11)~正下文子外務員からの手紙
下記は筆者が2000年6月に山口銀行大阪支店長から北九州支店長に着任したときに、第一生命の営業社員(特別調査役)の正下文子から送られてきた祝辞の手紙である。長文でありながらすべて手書きであり、手紙を書き慣れているのがわかる。
この手紙を受けて、母店の北九州支店だけでなく、傘下の北九州市内の支店長にも彼女の保険勧誘に協力を依頼したのだろうか。残り2通の手紙は、保険契約が成約したお礼状だったためだ。その2通の手紙には、行員の実名や役職名が記載されているため、伏せ字にすることも考えたが、文脈から人物が特定される可能性があることから掲載はしない。
~正下文子のしたたかな読み~
筆者は1945年4月生まれ。2年浪人して山口銀行に入行したため、大阪支店長のときに55歳の定年を迎えたが、定年延長が認められ、北九州支店長のときに56歳となったが、再度定年延長が認められた。北九州支店長から取締役に昇格するためには、田中耕三頭取だけではなく、正下の「お眼鏡に適う」かが問われていたようだ。正下からすれば、「私の保険勧誘に協力してくれたので取締役に推薦した」との思いがあったのではないだろうか。
2001年6月に、筆者は取締役宇部支店長を拝命した。下記は9月25日付けの葉書である。これは、手紙ではなく葉書だ。支店に配送される郵便は、庶務の行員が仕分けする。宛名とともに正下の名がすぐわかる。文面は「親しくさせていただいている。今後とも保険の勧誘をお願いします」との内容が、第三者の目に触れるようにした、したたかな読みがあったようだ。
その後の動きを時系列に列挙すると以下のようになる。
◆02年6月 田中耕三頭取から田原鐡之助に頭取交代(田中氏は相談役に就任)。
・田原頭取は正下の保険勧誘を目安箱まで設置して、全店的に廃止することを決定。
◆04年6月 筆者著の『実録 頭取交替』(講談社)の通り、田原頭取の再任が否決された。
・この頭取交代劇を裏で動いたのは、田中相談役と第一生命の正下だったのだ。
<むすび>
第一生命の金融詐欺事件は02年6月に田原頭取が再任され、第一生命の正下との縁を断ち切っていれば、多くの被害者を出すことはなかったと思われる。正下を優遇した第一生命の責任は重い。しかし上記の通り、正下が大手を振って山口銀行で保険勧誘を認めていた山口銀行の道義的責任も大きいのではないだろうか。
さらにいえば下記の通り、正下が顧客に差し入れた借用証書に正下の実の娘である吉田美智子(第一生命・神戸総合支社)が保証人として記入されている。本人自署ではないものの、裁判で争う形跡もないことから長年認めていたことになる。そうであれば、吉田をいまだ懲戒解雇していない責任も重い。第一生命は裁判を取り下げ、被害者全員に対して直ちに全額弁済すべきではないだろうか。
(了)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】