2024年03月29日( 金 )

【企業研究】 三越伊勢丹HD vs J.フロント~百貨店の王道を歩む三越伊勢丹、脱・百貨店へ突き進む大丸松坂屋(5)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 新型コロナウイルスの感染拡大が個人消費に与えた影響は大きい。テレワークの広がりや外出自粛で都心部の集客力が低下した。百貨店が受けた打撃は大きくて深い。名門百貨店の復活はなるか。(株)三越伊勢丹ホールディングスと、大丸と松坂屋を傘下にもつJ.フロントリテイリング(株)を取り上げる。

JR大阪三越百貨店は大失敗

 店舗づくりは伊勢丹流にこだわった。2011年5月、JR大阪駅の駅ビルにJR大阪三越百貨店を出店。伊勢丹流の店舗づくりに取り組んだが、販売不振が続き、わずか4年後の15年には百貨店の看板を下ろした。

 この店舗は、もともと三越が05年に閉店した大阪・北浜にあった旧大阪店の後継店舗として出店を決めていたもの。経営統合で伊勢丹が主導権を握ったが、伊勢丹の本音は大阪からの撤退だったといわれている。東京と大阪では、消費風土が違いすぎるため、伊勢丹流が通用するとは思っていなかったからだ。

 それでも三越側の熱意に押されて出店したが、案の定だ。旧三越大阪店のメイン顧客だった60歳前後のシニア層は、若年層や婦人層をターゲットにしたファッション百貨店を敬遠した。ここでも三越と伊勢丹のミスマッチが失敗の原因となった。ところが、大プロジェクトの失敗の責任を誰も取らなかった。

三越が仕掛けた大西洋社長解任のクーデター

 “爆買い”で三越サイドは元気を取り戻した。三越銀座店は、中国人の“爆買い”の聖地となり、爆発的に売上を伸ばした。インバウンドや富裕層による消費が拡大しているときはよかったが、その効果がはがれ落ちると、隠れていたひずみが表面化した。

 これを機に、大西洋社長は大リストラに乗り出した。三越千葉店(千葉市)や三越多摩センター店(東京都多摩市)を17年3月末に閉鎖するだけでなく、松山三越店(愛媛県松山市)、広島三越店(広島市)の売り場縮小を検討すると表明。管理職のポストの1~2割の削減、人員削減を検討していた。旧三越出身者から、「三越ばかりがリストラされる」という不満の声が外部に漏れるようになった。

 大西構造改革に(労組)が反旗を翻した。労組の関係者が三越出身の石塚会長に直談判し、見直しを強く要請した。

 17年3月4日午後、「現場はもうもたない。構造改革による混乱の責任を取り、やめてもらいたい」。三越伊勢丹HD本社の一室で石塚会長は大西社長にこう切り出した。

 この時期、大西社長の経営手腕を疑問視する怪文書が数多く社内外に飛び回っていた。怪文書を送り付けられた社外取締役たちが、一連の動きを問題視していることを大西氏は感じ取っていた。外堀は埋まっていた。大西社長は、その場で辞表にサインした。

 三越と伊勢丹の根源的な対立に、社外取締役は喧嘩両成敗の断を下した。大西洋社長の解任と石塚邦雄会長の更迭は、メインバンクの意向と受け取られた。指名報酬委員会の中心メンバーである社外取締役・永易克典氏は、三菱東京UFJ銀行頭取、三菱UFJフィナンシャル・グループ社長を務めた三菱の重鎮だ。

 新社長は、伊勢丹出身の杉江俊彦氏に決まった。指名報酬委員会の答申通りに、取締役会はトップ人事を正式に決定した。これまでも、三越と伊勢丹の社長解任劇の演出・監督は常に銀行だった。今回も銀行はそれを踏襲した。伊勢丹の後見人である三菱UFJは、三越伊勢丹の社長の座を三越側に渡すつもりはなかった。

三越伊勢丹の再生は「店づくり」

 大丸と松坂屋が自力で統合したJ.フロントと、銀行に無理矢理、統合させられた三越と伊勢丹とでは、百貨店再生の方策は異なる。

 百貨店は銀座の顏だった。その銀座から百貨店の松坂屋が消えた。J.フロントは、ファッションビルの「ギンザシックス」につくり替えた。銀座では総合型の百貨店が成り立たなくなってきた。何でもそろえる、従来型の百貨店から脱皮を図る道を選んだ。

 10年9月、三越銀座店がリニューアルオープンした。総額420億円という巨額投資を行い、売り場面積3万6000m2の銀座・有楽町で一番店の規模となった。最大の特徴は、外国人観光客に対応した店づくりにしたことだ。

 これは大成功した。華の銀座を訪れる外国人観光客は、三越銀座店に立ち寄った。三越銀座店は、インバウンドの”聖地”として蘇った。しかし、新型コロナ禍でインバウンドが蒸発するとは、想像もできないことだった。

 銀座を舞台に繰り広げられた両社の対応には大きな違いがある。三越伊勢丹は「店づくり」という方向性で変革を図った。これに対して、J.フロントは「仕組み」をつくり変えた。これが、銀座から老舗百貨店を撤退して、新しい業態を選んだ本当の理由である。

 そして今、三越伊勢丹はネットでの接客を再生の起爆剤とするのに対し、J.フロントは「百貨店ごっこ」に見切りをつけ、都市型ファッションビルに転換する。

 ポストコロナの時代、百貨店の王道を歩む三越伊勢丹と、不動産型賃貸ビジネスに突き進むJ.フロント。勝利を手にするのはどちらだろうか。

(了)

【森村 和男】

(4)

関連記事