ぶらり美野島・昭和レトロのまちからワンルームのまちへ変貌中(4)
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博多のまちを南北に縦断する那珂川にかかるその橋を渡った先に、「昭和」のレッテルが糊付けされたまちがあるという。令和3年の正月が明けたある日、雪でモノクロに霞むそのまちを歩いてみた。
まちとひと、再生の物語
商店街を少しはずれた場所で不動産業を営む堀内康秀さんによると、決して「美野島地域が若い層に人気がある」ということはないという。少し北上した住吉や博多駅前4丁目のほうが利便性の点で分があるため、若年層はまずその周辺を探す傾向にあり、美野島はむしろ“素人を寄せ付けない雰囲気”すらあるというから意外だった。美野島1丁目付近には「一見さんお断り」の店も少なくなく、それが影響しているのか。家賃は住吉などと比べて1割から2割ほど下がるという。
美野島商店街で代々青果店を営んできた吉田真一さん((有)吉田青果・代表)は、みのしま連合商店街振興組合の理事長を務めており、美野島の賑わいを取り戻そうと奮闘する若手リーダーの1人だ。吉田さんが小学生のころの美野島商店街は、平日でも通りの客がごった返し、人込みを避けて裏道を通って帰宅するほどだったという。しかし、周辺に大型スーパーが進出したことなどから徐々に商店街の店舗は減り続け、かつては5店舗あった精肉店も姿を消した。
商店街に人を呼ぶため、吉田さんはアートを軸にした振興策を模索している。吉田青果のシャッターに描かれているグラフィティーもその一環で、「決していたずらされたわけではないんです」と笑う。これまで月に1回ほどイベント「MINOSHIMArche(ミノシマルシェ)」を開催してきたが、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で、それもままならなくなった。さらにコロナ禍は、吉田青果の売上構成も変化させている。実店舗での売上は巣ごもり需要で若干増えたものの、売上の大半を占める飲食店への卸が大幅に減ったため、しばらくは商店街振興よりも本業に向き合わざるを得ない日々が続く。
吉田さんたちが取り組むのが商店街の再生を図る試みだとすれば、美野島にはもう1つ、再生を期する者同士が肩を寄せ合う場所がある。
美野島2丁目の美野島司牧センター内にある「美野島めぐみの家」は、ホームレスの人や経済的に困窮する人たちのための炊き出し(食糧支援)や物資援助を行う施設だ。もともと同地に建っていたカトリック教会を拠点にボランティアで行ってきた活動で、今はNPOとして法人化して、建物も建替えられた。毎週火曜日に炊き出しを行い、食事とともに衣類の無償提供や医療支援なども行う。カトリック教会時代には、アルコール依存や薬物依存からの回復を図る患者団体も入居していた。
美野島はもともと、人間の負の部分と対峙する地理的特性を内包していたともいえる。美野島地域の対岸に位置する清川は、明治44年ごろから「新柳町」と呼ばれた、九州有数の歓楽地として発展した。戦後に赤線地帯となったこの地域は、遊女の足抜けや病死にともなう怪談話が都市伝説的に受け継がれてきた場所でもある。橋を渡って美野島に逃げこんだ遊女もいたのだろうか。カトリック教会の斜め前には大きな仏教施設もあるため、死と再生の物語を想像(創造)するにはうってつけの場所ともいえる。
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美野島と住吉界隈には、さまざまな物語に彩られた歴史が集積していた。まちのあちこちに見られるレトロな味わいとはすなわち、所々に表出する歴史の断層そのものなのかもしれない。
(了)
【データ・マックス編集部】
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