2024年03月29日( 金 )

福島第一原発事故から10年~今も続く放射性物質の汚染

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 NetIB-Newsでは、千葉茂樹氏が福島第一原発事故からの10年で、放射性物質の汚染について行った調査の結果を地学団体研究会の機関紙『そくほう』2月号(2021年2月1日発行)の同氏の論文から紹介する。

「放射能物質の汚染調査をするしかない」と決意

 2011年の震災・原発事故から10年になる。東北地方以外の方は、もう忘れてしまったかもしれない。原発事故のあった福島県でも県民の関心が薄れている。

 この10年は人生のなかでも特に時間が経つのが早かったが、今でも当時の記憶は多く、しかも鮮明である。

 当時を思い返すと、放射線の知識がなく、1日1日が不安で「何が何だかわからなかった」ために緊張状態が続き、記憶が残ったのではないかと考えられる。この不安のなかで私は「放射能物質の汚染調査をするしかない」と決意した。

長泥が立入禁止に

 11~20年までの調査で記憶に残っているのは、原発事故後に福島県内各地にみられた高い放射線を出す「黒い土」である。12年4月30日に採集した飯館村の黒い土は1kgあたり1,430万ベクレル(小出裕章氏測定)であった。

 また、私は12年5月19日、長泥―赤宇木の峠(国道399号)で毎時30マイクロシーベルト(μSv/h)以上(地上1m、TCS-172B)を測定し、この事実を飯舘村役場(避難先:旧飯野町役場)に伝えた。その2日後、長泥―赤宇木の峠が全国にテレビ中継され、7月になって長泥がやっと立入禁止になった。

原発事故から8年後も高い放射線を出す「黒い土」

 19年の主要な調査は「二本松市市街地南部の調査」であり、調査は25日、測定は5,921地点、空間線量率(地上1m)は毎時0.06~2.56マイクロシーベルト、平均が毎時0.28マイクロシーベルトであった(※1)。

 特筆すべきは、毎時1マイクロシーベルト以上が22地点、毎時2マイクロシーベルト以上が4地点あったことである(公的除染は18年に終了)。また、平均値が、二本松市がHPで公表している値と私の調査の値とでは大きく違うことである。さらに、この19年の調査でも、高い放射線を出す土「黒い土」が見つかった。

放射能測定器の問題

 空間線量率を測定する器械は原発事故後、多種多様のものが国内でも作られ、また輸入もされた。これらを実際に汚染地域で使用すると、機種ごとに表示値が違うのである。このため、私は所持している測定器を放射性物質汚染地域に持参し、公的機関で使用している日立製TCS-172B(171)を基準に比較した。感度から言えば、調査に使えるのは大きいシンチレーターの付いた機種である。

※1:環境省では、毎時0.23マイクロシーベルト(μSv)以上を地域放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染状況重点調査地域の指定や、除染実施計画を策定する地域の要件としている。

【千葉 茂樹】


<プロフィール>
千葉 茂樹
(ちば・しげき)
 1958年生まれ。岩手県一関市出身。元福島県高等学校教諭。専門は火山地質学。調査の中心は磐梯山。この他に、「富士山、可視北端の福島県からの姿」などの多数の論文がある。2011年3月11日の福島第一原発事故の際は、福島市渡利に居住していた。翌12日、会津の猪苗代にいったん避難して20日に渡利に戻る。異変を感じたことから、専門外の「放射性物質による汚染」の研究を始めた。その後、阿武隈山系の平田村に転勤となる。平田村は原発から約45kmと近いが、地形の影響で「汚染がドーナツ状に低い地域」のほぼ中心にある。著者の調査形態は、地質調査と同じ「徒歩」が基本。2019年3月で定年退職。
※詳細な調査データは「報告書・論文など」として、京都大学吉田英生教授のHP(Watt & Edison)に掲載。磐梯山の論文も含む。

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