2024年04月20日( 土 )

安倍・菅政府のこの1年の新型コロナ対策を振り返る(4)

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九州大学非常勤講師・フリーライター 辻部 亮子 氏

政府は「次の波」に備えた抜本的対策に舵をとれ!

 感染状況の正確な把握に基づいて適切な対策を講じ、感染拡大を抑止することなしに、他の措置が効果を上げるわけはない。運悪く感染し、症状が悪化してしまった人は医療に頼るほかないが、その医療体制といえば、米国の圧力に応じて小泉政権以来進められてきた「医療開国」、すなわち、病院の営利団体化、公的病院の統廃合、経営正常化の名の下のスタッフおよび設備削減により、すでにひどく弱体化していたのである。こうした状況は、慌てて資金だけをつぎ込んだところでたちどころに改善するものではない。政府にできることは、こうした現実を真摯に受け止めたうえで、とにかく感染者を減らすこと以外なかったはずである。

 経済支援策についても同様のことがいえる。感染拡大が収まらなければ人の消費行動は縮小し、経済は停滞する。資金だけ供給して後は経営者に丸投げでは、赤字補てん=一時的延命の意味しかもたないうえ、行き場のないマネーが株式市場になだれ込み、今まさにそうであるように、実体経済から乖離した悪質なバブルを引き起こすだけだ。実際、ここへきてコロナ破綻、とくに零細企業の息切れが顕著になったと、2021年2月8日に東京商工リサーチが報告している。しかも、2回目の緊急事態宣言発令では、クラスター源として飲食店だけをターゲットにするなど、唯一の建設的な政策といえるクラスター対策さえも、もはや杜撰なものとなった感がある。

 日本政府のコロナ後半戦を総括するなら、「『日本モデル』の『健闘」に味をしめ、国民の自助努力を促した』の一言に尽きるだろう。政府は折々の批判に接し、場あたり的な対策を小出しに繰り出してきたが、それは単に「やっている感」を演出するだけで、政権の保身にほかならなかった。政府がやってきたことは、単なる「お願い」にすぎないのである。

 何より恐ろしいのは、その「お願い」に効果がなくなったときの、政府の豹変ぶりである。ウイルス感染は確率の問題である以上、個人の感染防止対策の努力だけでは限界がある。そもそも、「お願い」する本人らが「会合」と称して酒宴に興じていたのであるから、「お願い」の説得力が大きく減じるのは当然であるが、事態が改善の兆しを見せないことにしびれを切らしたか、菅政権はとうとう「お願い」に従わない者に対する「罰則」に言及するようになった。これは、「法的な強制力をともなう行動制限を採らない」という、この1年の基本方針を否定するものであり、これまでさんざん失敗をあげつらってきた欧米方式にならうことを宣言することに他ならない。

 企業に対しても、政府はこれまでの「事業の継続と再起」の方針を放棄し、ポストコロナの事業支援へとすっかり関心を移してしまったことは、先日成立した第三次補正予算構成を一瞥してもよくわかる。つまり、これまでの資金繰り支援でももたない企業は、さっさと「淘汰」されよというわけである。

 感染拡大にひとまず沈静化の兆しのある今、浮き彫りになった構造的問題に思い切ったメスを入れ、起こり得る次の波に備えなければならない。――事実、世界各国で新型コロナ変異株の感染が急増しており、日本も感染爆発の恐れがあるとWHOが警鐘を鳴らしている。

 複雑に交錯する各業界の種々の思惑や利権を調整しつつ、コロナという危機を乗り越える作業は難しい仕事であろう。だが、それをやるのが真のリーダーというものではないか。支持率の急激な低下に頭を抱えている菅政権にとって、これは起死回生のチャンスである。彼らの政治家としての矜持に期待したいところである。それができないというなら、早々にご退場いただくほかない。

(了)

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