2024年04月25日( 木 )

西鉄高架化、駅前再開発も控える 住宅都市・春日&大野城の今昔(3)

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交通インフラとともに発展、そして一大軍需拠点に

西鉄春日原駅
西鉄春日原駅

 明治期になっても、大部分は純農村だった春日村および大野村だが、交通インフラの開通とともに、急激な変化が訪れることになる。

 まず、1889年12月に九州鉄道(初代/後の国鉄および現在のJR鹿児島本線)の博多~千歳川仮停車場(佐賀県鳥栖市)間が開通。1913年9月には同鉄道路線において水城駅が開設された。24年4月には九州鉄道(2代/現在の西鉄天神大牟田線)の福岡~久留米間が開通し、春日原駅と下大利駅が開設。さらに32年には国道3号の敷設も行われ、地域発展のためのインフラが整備されていった。

 春日原駅の開設にともない、駅西側には野球場やラグビー場、テニスコートなどを備えた春日原総合運動公園が24年10月に誕生。さらに、現在の春日市役所などが立地する一帯には、32年に春日原競馬場も開業した。また、国道3号の開通に合わせて、36年に宮田自転車工場、39年に日本自動車工場が大野村に進出するなど、交通インフラの充実とともに、両エリアでの都市化が進んでいった。

 しかし、日中・日露戦争や太平洋戦争に向けて、日本が軍国主義化していくにつれて、春日村・大野村の状況も一変していく。春日原競馬場は閉鎖されて、飛行機搭載用機関砲や歩兵用短小銃などの兵器を製造する小倉造兵廠春日原分廠となったほか、宮田自転車工場は水上飛行機のフロートや魚雷を製造する福岡精工所に、日本自動車工場は航空機部品や魚雷を製造する中央兵器工場に変貌。両村および隣接する那珂町(現在は博多区の一部)を含めた一帯は、一大軍需工場群となっていった。

 45年8月の終戦後、これらの軍需工場は閉鎖されて、米進駐軍によって接収。春日村の小倉造兵廠春日原分廠が米軍の板付基地春日原ベースとなったほか、大野村の上大利の田畑の一部も買収されて米軍宿舎用地となった。このため、基地周辺では米軍人相手のバーや土産品店、洋品店などが建ち並び、西鉄沿線などには米軍人向けの数百軒の貸ハウスが建てられたという。50年6月に勃発した朝鮮戦争の際は、板付基地が爆撃・輸送の第一線基地となったが、朝鮮戦争休戦協定の調印後は極東の緊張も次第に和らぎ、基地の米軍は次第に縮小。64年までにほとんどの兵士や家族が引き揚げた。その後、春日原ベースは71年5月に東区西戸崎の博多基地に全面移転し、72年6月末には、日本に返還された。春日原ベースの跡地は現在、春日市役所や春日公園、航空自衛隊春日基地、クローバープラザなどとして活用されている。

春日公園
春日公園

(つづく)

【坂田 憲治】

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