2024年04月19日( 金 )

【コロナで明暗企業(3)】日本たばこ産業(JT)が日本から脱走(2)

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 「庇を貸して母屋を取られる」。自分の所有物の一部を貸したがために、ついにその全部を奪われるという意味(広辞苑)。日本たばこ産業(JT)は本社機能をスイスに移転する。たばこ事業は、国内はJT本社、海外はジュネーブに拠点を置くJTイーターナショナル(JTI)が担ってきたが、来年1月以降、国内事業もJTIの傘下に入る。JTは買収した海外のたばこ会社・JTIにのみ込まれる。「庇を貸して母屋を取られる」格好だ。

バブル時代の多角化路線の失敗

 日本たばこ産業(JT)は言わずと知れた旧・日本専売公社だ。1985年に民営化されたとはいえ、規制による保護と制約を受けた典型的な内需型企業だった。海外でのたばこの販売数量は1割にも満たなかった。

 JTが海外M&A(合併・買収)に走った背景には、多角化事業の相次ぐ破綻がある。国内のたばこの消費量は年々落ちていた。そこで民営化後、多角化路線に経営の舵を切った。

 バブル期には「たばこ製造の技術を生かす」と大見得を切って、「AB作戦、CD戦略」を大々的に掲げ、なりふりかまわぬ多角化路線に突き進む。Aはアグリカルチャー(農業)、Bはバイオ(生命工学)、Cはケミカル(化学)、Dはドラッグ(薬品)の意味で、各分野の新規事業に取り組んだ。

 スッポン養殖、メロン・トマト・マッシュルームの栽培を行った。ホットドッグチェーン経営、レストラン経営、印刷事業、不動産事業、スポーツクラブ運営にも手を出した。医薬品開発、食品・飲料製造など数え切れないほどのさまざまな新規事業に手を広げた。

 だが、旧・日本専売公社のお役所仕事はビジネスには向いていなかった。新規事業の大半は日の目を見ないまま失敗に終わった。これらの事業は99年前後に「選択と集中」という言葉をもって整理され、多角化は食品と医薬品の2つの事業に絞り込まれた。食品は加ト吉(株)(現・テーブルマーク)、医薬品は鳥居薬品(株)を買収した。

 多角化路線の挫折から、本業のたばこ事業に戻る決定が行われた。RJRナビスコが海外たばこ事業を売却するという話が飛び込んできたのは、ちょうどそのころだった。

JTは旧・大蔵省の天下り天国

 「RJRナビスコの米国以外での海外たばこ事業を買収したい」。

 99年3月初めに開かれたJTの臨時取締役会で、社長の水野勝氏が切り出した。民営化後、JT社長は大蔵省(現・財務省)の高級官僚の天下りポストであった。初代社長は専売公社最後の総裁で大蔵事務次官の長岡實氏(社長在任85~88年)、2代目は大蔵省証券局長や国税庁長官を務めた水野繁氏(同88~94年)、3代目社長の水野勝氏(同94~2000年)も大蔵省主税局長と国税庁長官を歴任した天下り組だ。

 生え抜き組は買収話に小躍りした。「『どうでしょうか、と問いかける社長を見る役員の目は、一様に輝いていた』。JT関係者の証言だ。1兆円近い巨費だ。それを投じる今回の買収劇が、JTにとって大きな賭けであることは間違いないが、JT幹部の言動から相当の自信がうかがえる」(日本経済新聞99年3月14日付朝刊)と、メディアはJT役員の高揚感を伝えた。

 実はその10年以上も前に、RJRナビスコから売却の打診があった。現場は買収話に色めき立ったが、上層部から「こんな大金を出せるか。そんな経営力もないだろう」と一蹴されてあきらめた。それだけに、再び舞い込んできた買収話に、チャンス到来と意気が上がったわけだ。

海外M&A第1弾は世界3位のRJRI

 RJRナビスコとの買収交渉のために、副社長・本田勝彦氏と経営企画部長・木村宏氏らが真冬のニューヨークへ飛んだ。

 「最後の詰めの段階でRJR側と折り合いがつかず主張は平行線。2人は『一服してくる』と言い残し、屋外で寒さに震えながら作戦を錬った。木村は、JT側の条件が通らなければ買収断念するのもやむなしという強気の姿勢を押し通し、RJR側が条件をのむかたちで合意に至った」(斉藤栄一郎「JTが挑む『メジャー構想の成算』」:プレジデント07年12月31日号)。

 JTは99年3月9日、米たばこ・食品大手のRJRナビスコと、米国以外のたばこ事業を手がけるRJRIを9,400億円で取得することで合意した。

 RJRナビスコとの買収交渉をまとめたことが評価され、本田勝彦氏は初の生え抜きとして4代目の社長となった。42年生まれ、鹿児島出身。65年に東京大学法学部を卒業後、日本専売公社(現・JT)に入社した。民営化後に人事部長、たばこ事業本部長などを経て、2000年6月から06年6月まで社長を務めた。

 「専売公社上がりのJTがグローバル展開なんてできっこない。公社の意識でやったら失敗するだろう」と多くの経済人が思った。「1兆円をドブに捨てる気か!」とある財界人は怒気を強めたという。

 ところが、大方の予想に反してグローバル化が進んだ。JTが活路を求めたのは、ロシアやウクライナなどの「愛煙家王国」であった。主力ブランドの『ウィンストン』や『キャメル』が人気で、売上高が倍増した。

 買収は大きな果実をもたらした。当時、JT幹部は「買収は賭けだったが、結果として業績に多大な貢献をもたらした」と誇らしげに語っている。

 本田氏は東大時代に安倍晋三前首相の家庭教師を務め、個人的に親しく、首相を囲む「四季の会」のメンバーだ。安倍氏は13年6月に任期を迎えるNHK経営委員長にJT顧問・本田氏を充てるつもりだったが、事前に人事構想が漏れ、「家庭教師を経営委員長にする気か」と大騒ぎになり、結局断念した。それでも本田氏は経営委員に起用された。

(つづく)

【森村 和男】

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