2024年03月29日( 金 )

東北新社の電波利権、菅首相の天領・総務省との癒着~首相の長男を前面に立て、電波を割り当てる総務省幹部への接待工作をフル回転(4)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 総務省は菅義偉首相の天領である。(株)東北新社は、首相の長男・正剛氏を前面に立て、電波を割り当てる総務書幹部の接待攻勢に全力投球した。総務省幹部らの接待スキャンダルは、政権を揺るがす事態に発展。総務省が東北新社の衛星放送の認定を取り消すことで幕引きが行われた。この事件で、テレビや新聞が絶対に報道しないことがある。「電波利権」の問題だ。総務省は放送と通信の巨大な「電波利権」を牛耳る官庁だ。その急所をつくことは、「電波利権」の恩恵を浴しているテレビとその親会社の新聞にはタブーなのである。

就職もせずに「プラプラしていた」正剛氏を総務大臣秘書官に起用

 菅義偉首相の長男・正剛氏が絡んだ総務官僚の接待スキャンダルは、2月4日発売の『週刊文春』のスクープから始まった。文春砲は、その後も、スクープを連発する。

 菅首相には3人の息子がいる。文春の報道によると、一番能力を買い信頼していたのは次男だそうで、大学卒業後は大手総合商社に就職している。三男は法政大学のアメフト部で活躍し、大手ゼネコンにいる。菅が頭を痛めていたのが長男、菅正剛氏だったそうだ。

 正剛氏は1981年、横浜市で生まれた。今年40歳。”湘南ボーイ”が集う逗子開成中学、高校から明治学院大学に進学。「世界民族音楽研究会」に所属、音楽ユニット「キマグレン」のメンバーとバンドを組んで活躍。卒業後、同級生が社会人になるなか、一向に定職に就かない長男の行く末を心配したのだろう。2007年9月26日、第一次安倍政権の総務大臣として初入閣した菅氏は、正剛氏を大臣秘書官に抜擢した。25歳の時だ。

 菅氏は『週刊プレイボーイ』(09年6月22日号)で、秘書が選挙に出たために人が足りなくなり、「プラプラしていたから」長男を採用したと語っている。大臣秘書官は、官庁内に席はあるが、特別職なので出勤簿やタイムカードもない。そして、特別職の公務員として税金から給与が支払われる。

 就職もせず「プラプラしていた」正剛氏を、税金から給与が支払われる「オイシイ仕事」に就けたのである。翌07年7月5日まで、総務大臣秘書官を務めた。

正剛氏を前面に立てた接待を断る総務官僚はいない

 08年、菅氏と同じ秋田県出身で有力後援者である東北新社の創業者、植村伴次郎氏の「鞄持ち」として正剛氏を預けた。伴次郎氏・徹氏(ともに死去)の創業一族から、菅氏は500万円の政治献金を受けていた。

 正剛氏は、入社時から映画専門「スター・チャンネル」などの衛星放送事業に関わってきたという。昨年5月にはメディア事業部の趣味・エンタメコミュニティ統括部長に就任。また東北新社グループの(株)囲碁将棋チャンネルの取締役も兼務している。

 社員は「上層部から期待されている彼の“特命任務”は、総務省幹部とのパイプ役だ」といっている。

 東北新社は子会社が手がける衛星放送の認定・更新時期を迎えた。正剛氏を前面に立てて、総務官僚の接待攻勢に全力投球した。正剛氏は、総務官僚を招く切り札、スペードのエースだった。

 『AERAdot.』(2月23日付)で、現役の総務省の官僚がこう語る。

 「菅首相は政治家として、人事権を使って官僚を意のままに動かすと公言しています。要するに、官僚人生で最も大事な人事。菅首相はそれを握り、自在にこなすと言っている。最強の人ですよ。その長男、菅正剛氏が参加するという会合であれば、そりゃ、断れません。問題になっている13人のうちの1人と話したが、『総理の長男が来るのに、断るなんてできるわけがない』と明確に言っていた。それが本音です」

 そりゃそうだろう。総務省は菅首相の“天領”といわれる省庁なのだ。辞める覚悟がなければ、接待を断れない。

外国映画の日本語吹き替えでスタート

 創業者の植村氏は1929年3月、秋田県由利郡東滝沢村(現・由利本荘市)で生まれた。戦時中は、群馬県の中島飛行機(株)の工場で学徒動員を経験した。

 1950年代、新橋で「COMO」というバーを経営。そこには、劇団四季の若手俳優らが集まっていた。時代はラジオからテレビに移り、そのバーにテレビ関係者もいた。

 テレビ業界は自社での制作能力がなかった。それをビジネスチャンスとみた植村氏は、59年に仲間と東北社を設立。劇団四季の浅利慶太氏が、植村氏が秋田出身であることから東北社と名付けた。すぐ仲間割れが起きる。オペラのブロデュースを目的に創業したが、植村氏が外国テレビ映画の日本語吹替業に乗り出したことで喧嘩別れになる。

 61年4月、植村氏は(株)東北新社を設立。東北社から移籍した7人で、テレビ映画『ハイウェイ・パトロール』等の日本語版吹替事業をスタートした。『奥さまは魔女』『スパイ大作戦』『ララミー牧場』などの吹き替え業務は大繁盛。64年、(株)新日本映画製作所を買収してCM制作事業を開始した。

(つづく)

【森村 和男】

(3)
(5)

関連キーワード

関連記事