2024年04月24日( 水 )

ともに発展してきた県都と泉都、大分&別府の今昔、そして未来は――(5)

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新産業都市指定で著しい発展遂げる大分市

大分市 臨海部 工業地帯
大分市の臨海部には工業地帯が広がっている

 大分市では、灰燼に帰していた中心市街地の復興を目的とした大分復興土地区画整理事業を46年度から実施。64年10月まで続いた同事業は施行面積101.9haにわたって、幹線道路の整備のほか、大分駅前を起点とした幹線道路を中心に道路・公園・駅前広場などの公共施設を配置していくもので、大分市にとって初の区画整理事業となった。49年5月には国立大学の一府県一校の方針の下、大分大学が開学。57年3月には、戦後に米軍から接収されていた大分海軍航空基地を改めて、第二種空港として大分空港が開港し、極東航空(株)(全日空の前身の1つ)による大阪~大分~宮崎線が就航した。

 また、57年8月には、大分市と鶴崎市の臨海部を埋め立てて工場を誘致する大分・鶴崎臨海工業地帯建設計画が決定。臨海部を埋め立てて858haの工場用地を造成するほか、新港湾や臨海産業道路の建設、後背地の整備事業などからなる一大プロジェクトだった。59年10月には1号地の建設起工式が行われ、徐々に埋め立てが進んでいった。

 その後、高度成長の最中の日本において、62年5月に新産業都市建設促進法が成立すると、大分市は同法による地域指定を受けて臨海工業地帯を建設して、工業都市化の道を拓こうとした。だが、当時の大分市は行政区域・人口・財政力などにおいて新産業都市の選定基準に達しておらず、そのため急遽、近隣自治体との合併を促進。63年3月には鶴崎市、大南町、大分町、大在町、坂ノ市町と合併して新たな大分市となり、翌64年1月に新産業都市に指定された。

 同年4月に大分臨海工業地帯への初の進出企業として、九州石油大分製油所(現・ENEOS大分製油所)が操業を開始。69年7月には九州電力の火力発電所である大分発電所が運転を開始し、71年6月には新日鉄大分製鐵所(現・日本製鉄(株)九州製鉄所大分地区)が操業開始するなど、その後も鉄鋼や石油化学などの素材産業の企業誘致に成功して、以降の地域経済の発展をもたらした。なお、大分臨海工業地帯の後背地にあった大分空港だが、新日本製鐵の高炉建設の障害になるとして、71年10月に国東半島に移転している。

大分市 中心市街地
大分市の中心市街地

 また、新産業都市指定にともなって進出する企業の従業員の住宅地として、周辺部の丘陵地帯には次々に大規模な住宅団地が造成。城南団地、明野団地、敷戸団地などのニュータウンが郊外に誕生して、市の人口が急激に増加していった。その一方で、大分駅前などの中心市街地には、長崎屋大分店(71年4月)、ジャスコ大分店(73年3月)、ニチイ大分ショッピングデパート(73年9月)、ダイエー大分店(73年11月)、西友大分店(74年6月)などの関東・関西資本の大型スーパーが数多く進出。地場百貨店のトキハとともに駅前型の繁華街を形成するほか、71年10月に開業したトキハインダストリー明野センター(現・あけのアクロスタウン)など郊外型の商業施設も誕生し、大分市は県都にふさわしいにぎわいを見せていった。

(つづく)

【坂田 憲治】

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