2024年04月19日( 金 )

【コロナで明暗企業(5)】藤田観光~仰天!!ホテルの「新御三家」椿山荘も売却の対象だった(前)

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 新型コロナウイルスの影響で、ホテル業界はかつてないほどの大打撃を受けた。インバウンド(訪日外国人)はゼロ。宿泊だけでなく、レストラン、宴会、婚礼などすべての需要が蒸発し、「生き残り」をかけて資産の売却を始めた。箱根観光のシンボル「箱根小涌園」を経営する藤田観光(株)は、始祖・藤田家から受け継いだ結婚式場「太閤園(大阪市)」を売却した。ホテルの「新御三家」と謳われた「ホテル椿山荘東京(東京・文京)」も売却候補だった。名門・藤田観光の歴史をたどる。

結婚式場・太閤園を創価学会に売却

椿山荘 藤田観光(株)のルーツは、実業家・藤田伝三郎氏が創立した藤田財閥にある。伝三郎氏は長州・萩の出身。維新の動乱期に、高杉晋作に師事して奇兵隊に入った。このとき、木戸孝允・山田顕義・鳥尾小弥太・井上馨・山県有朋ら明治維新の元勲らと結んだ人脈が政商として活躍する財産となった。

 伝三郎氏は米国で革靴の製造方法を学び、西南戦争で軍靴を大量に明治政府軍に納めたことから、莫大な利益を得る。その後、明治政府から秋田県の小坂鉱山の払い下げを受け、鉱山業で財を成した。

 戦後、藤田家の邸宅や庭園などの財産を譲り受け、それを生かして日本の観光業の礎を築いたのが藤田観光の初代社長・小川栄一氏である。

 藤田観光が売却を決めた、大阪の結婚式場として知られる「太閤園(大阪市都島区)」は伝三郎氏の邸宅の跡地に立つ。2万5,000m2を超える日本庭園に築100年余りの料亭がある。

 太閤園は、明治の元勲、山県有朋から譲り受けた「ホテル椿山荘東京(東京・文京区)」、箱根の観光スポットである「箱根小涌園」とともに、藤田家から受け継いだ資産で、藤田観光のシンボルの1つ。藤田観光は、会社の象徴であるこの太閤園を売却する。

 藤田観光はコロナ禍で業績が悪化。2020年12月期の連結決算で純損益が224億円の赤字になった。債務超過の寸前まで追い込まれ、資金確保のため太閤園の売却を余儀なくされた。

 今年2月、太閤園を売却し、21年12月期第1四半期(1~3月期)に、固定資産の譲渡にともなう特別利益329億円を計上すると発表した。売却先は公表していなかった。

 『朝日新聞(4月3日付朝刊)』は、「太閤園の買い手は創価学会だった」と報じた。購入は3月22日付。

 創価学会は「仲介業者の紹介があり取得した」と認めた。使い道は「いずれ発表する」としている。

 太閤園は6月末まで営業を続ける。

椿山荘、ワシントンホテルも売却の選択肢だった

 『日経ビジネス』電子版(3月2日付)に載った、伊勢宜弘・藤田観光社長のインタビュー記事が目に止まった。伊勢氏は学習院大卒で、1983年藤田観光に入社した生え抜き。キャナルシティ・福岡ワシントンホテル(株)(現・WHG西日本(株))社長などを歴任、19年3月に本体の藤田観光の社長に就いた。

 伊勢氏は、太閤園を売却対象に選んだ理由についてこう語っている。

 結果的に太閤園になりましたが、聖域なく検討しました。椿山荘(ホテル椿山荘東京)もワシントンホテルもすべて売却の候補でした。何とか3月31日に資本性のお金を入れなければと思い、銀行さんに間に入ってもらって動いていただいたなかで、引っかかったのが太閤園です。椿山荘に買い手がつけば、椿山荘になった可能性もあります。

 太閤園の売却は何としても成功させたいという気持ちだったので、不動産や法律に強い人間で社内プロジェクトチームをつくり、銀行さんと議論しました。だいたい条件が整ったのが1月。そこから契約の最終条件を決めて2月21日に取締役会で決議し、ギリギリですが債務超過を回避できました。

 衝撃的な発言だ。太閤園の売却が決まらなければ、第1四半期(1~3月期)は債務超過に転落する。債務超過になれば、あらゆる資金調達の道が断たれる。経営破綻、そして身売りしか選択肢はない。そんな瀬戸際に立たされため、椿山荘や「ワシントンホテル」も売却候補だったという衝撃的な発言が飛び出したのだ。

 椿山荘は緑豊かで池や滝、史跡がある広大な庭園にホテルや料亭、結婚式場を備え、目黒の「ホテル雅叙園東京」や白金台の「八芳園」と並んで、東京を代表する和風の挙式スポットと知られる。将棋と囲碁の名人戦では第1局の舞台として定着し、最近ではドラマ『半沢直樹』で大和田常務が秘密の会合を持つ料亭のロケ地にもなった。そんな自社の歴史で重要な資産、椿山荘を売却するつもりだったというのだ。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

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