【熊本】城下町の面影残す中心市街地、九州第3位・熊本市の今昔――(4)
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九州の中心都市としての栄華(続き)
1891年7月には、九州鉄道の高瀬(現・玉名駅)~春日(現・熊本駅)間が開通。このとき、植木駅、池田駅(現・上熊本駅)も同時に開業している。当初の計画では、中心地に近い新町あたりに駅が設けられるはずだったが、「煙で洗濯物が汚れる」などの地元の反対に遭い、郊外の春日と池田の2カ所に駅が設けられた。なお、当時の春日駅はカボチャ畑の真ん中に建てられ、「春日ステンショ」と呼ばれていたとされる。なお、当時の鉄道唱歌第二集「山陽・九州篇」のなかで、熊本のことが「九州一大都會 人口五萬四千あり」と歌われており、名実ともに九州の中心都市であったことは間違いないようだ。
鉄道開通と同時期には、九州初の電気供給会社として熊本電灯(株)が設立。1901年1月には、熊本~植木間で定期乗合馬車の運行が開始したほか、熊本電話交換局が開設され、電話交換業務が開始された。ほかにも、新聞発行や放送局の開局など、九州初の事業地として熊本が選ばれることが多くあった。一方で、江戸期に武家屋敷が集積していた中心部の山崎には、明治期に入って練兵場をはじめとした軍施設が設置。その後、郊外に軍用地が移転したことで、その跡地が再開発され、新たに商業および娯楽の集積地として発展が進んでいった。
その後も近代都市としての整備が進み、07年12月の熊本軽便鉄道(20年7月に廃線)、13年3月の菊池軌道鉄道(現・熊本電気鉄道)、15年4月の御船鉄道(後の熊延鉄道)、24年8月の熊本電車(現・熊本市電)、27年2月の市営乗合自動車(市営バス)などの交通機関が次々と開業していった。21年6月には、熊本市が周辺の10村1町を合併して市域を拡大。面積はかつての城下町エリアだけにとどまっていた旧熊本市の約6倍、人口は合併前の約7万人から約12万3,000人になった。26年12月には熊本県内初の本格的な百貨店として「千徳百貨店」が開業。30年10月には「銀丁百貨店」も開業し、熊本の二大百貨店として多くの買い物客を集めていた。
しかし、こうした熊本の栄華も、軍靴の音とともに次第に鳴りを潜めていく。そして第二次世界大戦末期の45年には、7月1日と8月10日の二度にわたる空襲で、中心市街地の大部分が焼け野原となった。市街地面積の約3割にあたる363万975m2が焦土と化し、全焼家屋9,873戸、全壊家屋1,240戸、死者617名、重軽傷者1,317名という甚大な被害が出たとされている。
(つづく)
【坂田 憲治】
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