2024年04月25日( 木 )

2022年以降の世界経済秩序~米中激突と日本の最終選択(6)

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 グローバリズムや自由貿易といった「幻想」は雲散霧消した。米国は左右に引き裂かれ、欧州は泥沼状態にある。一方で中国やロシア、東欧などでは全体主義の傾向が強まっている。2022年以降の世界経済秩序はどうなるのか。谷口誠元国連大使・元岩手県立大学学長に聞いた。陪席は日本ビジネスインテリジェンス協会理事長・名古屋市立大学特任教授の中川十郎氏。話は谷口氏と親交がありノーベル賞候補だった2人の傑物、三島由紀夫氏と森嶋通夫氏にまでおよんだ。

元国連大使・元岩手県立大学学長 谷口誠 氏

三島由紀夫氏との10日間

 ――傑物の2人目は三島由紀夫(※1)氏です。どのようなご縁になりますか。

 谷口誠氏(以下、谷口) 三島由紀夫氏の弟で、当時ラオス大使館にいた平岡平之氏は外務省で私の友達でした。そのため、平岡氏からバンコクでの三島氏のお世話を頼まれました。当時、私はちょうど外務省から出向していて、ECAFE(現・ESCAP=アジア太平洋経済社会委員会)(※2)の本部があるバンコクにいたのです。

 三島氏とは約10日間、密度の濃いお付き合いをさせていただきました。三島氏は、当時ノーベル文学賞候補者としてのキャンペーンを兼ねて、スウェーデンやフランスなどを回って、ラオス、インド経由で、バンコクに立ち寄り、ノーベル文学賞の結果発表を待っていました。残念ながら受賞には至りませんでした。かなりの落胆ぶりで、我々は彼を慰めるためにいろいろお付き合いしました。バンコクでは、最後の作品となった「豊饒の海」(4部構成)の第3部「暁の寺」の取材・執筆をしていました。

谷口 誠 氏
谷口 誠 氏

 三島氏のために、当時バンコクで最上級といわれたエラワンホテル(現・グランドハイアット エラワン バンコク)を予約しました。三島氏の印象は、背はそれほど高くなく、眼光は鋭く、ズボンは黒で上着は白が多かった記憶があります。少し神経質なようにも感じました。

 バンコクでの三島氏には、ユニークなエピソードがたくさんあります。タイの水は怖いということで、滞在中は毎朝コーラで歯を磨いていました。また、同じ理由で、食事は毎日フランス料理のオムレツしか食べませんでした。私はたびたび、当時バンコクに1軒しかなかったフランス料理店に付き合わされました。今となっては楽しい思い出です。「暁の寺」の取材では大学ノートを片手に、バンコクを中心にタイの名所・旧跡を精力的に回っていました。

 今も記憶に残っている言葉に、「日本を守るためには今の天皇制ではだめだ。今の憲法でもだめだ。代わりに桜を守り、源氏物語を守らなければならない」というのがあります。私にはあまりにも突飛過ぎて理解できませんでした(笑)。「私たちの社会ではそんなことをいうと、おかしく思われる」と言うと、三島氏は「自分の社会では、君たちと同じことをいっていたら忘れられる存在になる」と言って笑っていました。また、小説家の川端康成(※3)氏をとくに尊敬していて、「川端先生」と呼んでいました。

 インドについては「インドは未来永劫、経済発展しないで今のインドであってほしい」、「貧しくても哲学をもって、今のようにまじめに生きてほしい」とも言っていました。バンコクにくる前の滞在地であるインドの「輪廻思想」に強い興味をもっていました。三島氏の最後の小説「豊饒の海」には、その影響がかなり反映されています。インドには独特の神秘のようなものを感じていたのかもしれません。

※1:小説家、劇作家。本名は平岡公威。代表作は小説「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「豊饒の海」など。1968年憲法改正を求める組織「楯の会」を結成、70年11月25日に東京・市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に入り、演説後に割腹自殺した。 ^

※2:1947年に国連の経済社会理事会の下部機関として設立。74年に改称した。本部はバンコク。アジア太平洋地域の経済発展や社会開発のための調査・研究・勧告などを行う。 ^

※3:新感覚派の代表作家として「掌の小説」と名づけた短編形式を追求し、伝統的な美に根ざした叙情性豊かな作品を書いた。1968年ノーベル文学賞受賞。代表作に「伊豆の踊子」「雪国」「禽獣」など。72年に自殺。 ^

(つづく)

【聞き手・文:金木 亮憲】


<プロフィール>

谷口 誠 氏谷口 誠(たにぐち・まこと)
 1956年一橋大学経済学部修士課程修了、58年英国ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ卒、59年外務省入省。国連局経済課長、在ニューヨーク日本政府国連代表部特命全権大使、OECD事務次長(日本人初代)、早稲田大学アジア太平洋研究センター教授、岩手県立大学学長などを歴任。現在は「新渡戸国際塾」塾長、北東アジア研究交流ネットワーク代表幹事、桜美林大学アジア・ユーラシア総合研究所所長。著書に「21世紀の南北問題 グローバル化時代の挑戦」(早稲田大学出版部)など多数。

中川 十郎 氏中川 十郎(なかがわ・じゅうろう)
 東京外国語大学イタリア学科国際関係専修課程卒後、ニチメン(現・双日)入社。米国ニチメン・ニューヨーク本社開発担当副社長を経て、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授など歴任。日本ビジネスインテリジェンス協会理事長、中国競争情報協会国際顧問、日本コンペティティブ・インテリジェンス学会顧問など。著書多数。

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