2024年04月24日( 水 )

園村剛二サンコーホールディングス前社長、経営者を超越した思想家(5)会社は誰のものか

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 半世紀近く福岡のゼネコンの経営者を眺めてきた。しかし、園村剛二氏のような経営者にはお目にかかったことがない。性格が潔い、淡白、気品があるというレベルではないのだ。園村氏の最終的な決断は、経営者というレベルを超えて思想家のレベルに達したと評価できる。福岡にとどまらず、日本全体を俯瞰しても、ゼネコンの経営者で園村氏のように思想家の水準にまで達した逸材は管見の限り知らない。

迷いを断ち切る

サンコーホールディングス(株)前代表取締役社長、(株)サンコービルド前代表取締役会長 園村 剛二 氏
サンコーホールディングス(株)前代表取締役社長
(株)サンコービルド前代表取締役会長
園村 剛二 氏

 今回の連載が大詰めを迎えたところで、園村氏に「70歳を目前にして本当に悩みはなかったのですか。もう少し会社に残ろうという欲が出るのは当然と思いますが」と尋ねてみた。園村氏は次のように打ち明けてくれた。

 「欲をかくのは人間の習性で誰もが同じで、あと2年ほど残ろうかと迷ったのは事実です。二転三転しました。しかし、自分で決めたルールですので、まずは己が実行することが肝心と思い、迷いを断ち切りました」。

 園村氏の潔い身の引き方は、社風として定着していくと感じさせた。

会社は社員のもの

 仮にA社としておく。この決算書を眺めれば、A社がどこか一目瞭然の方も多いと思う。無借金で、現預金は年商に匹敵するほど蓄えている。超優良企業である。A社はオーナー経営の失敗で一時、窮地に陥ったことがある。社員から社長を抜擢し、会社を再興させたことから、業界で注目され、尊敬されるようになった。

 会社の株の大半を社員株が占める。これだけ優良な財務内容であれば、乗っ取りを企てる者が現れてもおかしくない。A社の会長に「貴社は誰のもち物ですか?」と聞いた。そうすると、「我が社のもち主は社員です。株の大半は社員が保有していますから」という明確な答えが返ってきた。現在、経営がオーナー一族の手から離れて、社長は3代目、会長は2代目となる。会長は3代目社長を育成する役回りに徹している。この3代目社長を鍛え上げることができれば、社員から社長を抜擢するルールが定着するものと考えらえる。

人間の欲との戦い

 生え抜きとしては初代となる元社長が亡くなった。引退した際には、「中興の祖」としての功労が認められ、1億円超の退職金が支払われた。亡くなる前に、元社長から所有する株をめぐって、「時価で買い上げてほしい」との要請を受けたが、現会長は毅然として断った。これを機に遠ざかっていった。「私にとっては経営の師匠であり、尊敬し、私淑してきた。最後にこんな別れ方をしたのは痛恨の極みだ」と語る。

 師匠でもあった元初代社長との苦い別離を経験した会長は、改めて企業存続の難しさ、A社でいえばトップの潔癖さを持続させる風土づくりの重要さを思い知ったという。

 「私の退職金は先代の半分以下で結構と思う。減額分は内部留保に補てんすればよい」との思いを口にする。「会社は社員のもの。だからこそ存続させることに全力投球する」ことが身に染みついている。

 「生え抜きの3代目社長に叩き込むのは『会社は社員のもの』という魂であり、いかに存続させるかという強い意識だ」。その言葉は、3代目社長にしっかりと届いているようだ。

 ただし、10年、20年と経過すれば、社員の気質も変化し、トップ・経営陣の姿勢も劣化するのは世の常。人間の欲と戦いながら、4代、5代目の社員抜擢社長の誕生が継続されることに期待したい。

(了)

A社の決算書
A社の決算書
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<プロフィール>
園村 剛二(そのむら ごうじ)

 1950年6月生まれ、福岡県田川市出身。近畿大学卒、地場建設会社を経て三鉱建設工業(現・サンコービルド)に入社。建設部長、大牟田支店長、本社営業部長、営業本部長、常務取締役を経て09年4月に代表取締役社長に就任。14年2月にサンコーホールディングスを設立し代表取締役に就任、16年4月にサンコービルドの代表取締役会長に就任。21年3月に2社の代表取締役を定年で引退する。

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