2024年04月26日( 金 )

駐日マルタ大使に「東久邇宮国際文化褒賞」の受賞が決定!(前)

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 駐日マルタ共和国大使のアンドレ・スピテリ閣下の「東久邇宮国際文化褒賞」の受賞が決定した。明川文保 (一財)東久邇宮国際文化褒賞記念会 総裁・代表理事(DEVNET INTERNATIONAL ※1 世界本部総裁・日本代表理事)は4月20日、東京・赤坂にある在日ジョージア大使館を訪れ、ジョージア臨時代理大使(以下、ジョージア大使)のティムラズ・レジャバ閣下、スピテリ閣下との鼎談を行なった。なお、本稿は先月急逝したジャーナリスト金木亮憲氏の遺稿となる。

2014年に日本に大使館をもたない駐日マルタ大使に

マルタ共和国の国章
マルタ共和国の国章

 (一財)東久邇宮国際文化褒賞記念会 総裁・代表理事の明川文保氏は、駐日マルタ共和国(※2)大使のアンドレ・スピテリ閣下に「東久邇宮国際文化褒賞(※3)」受賞決定の報告を行った。東久邇宮国際文化褒賞を2020年10月に受賞したジョージア(※4)大使のティムラズ・レジャバ閣下は、スピテリ閣下の推薦人になっている。両閣下の最初の出会いは19年10月に執り行われた「即位の礼」であった。

 明川総裁は、来たる5月26日、スピテリ閣下と共に、1995年のオウム真理教の地下鉄サリン事件で第80代警視総監として警視庁の陣頭指揮を執った井上幸彦氏や初代金融庁長官の日野正晴氏(弁護士、初代法務省検察官・公証人特別任用等審査会会長、駿河台大学名誉教授)など数人の受賞が予定されている旨を告げた。

 続いて、明川総裁、スピテリ閣下、日本語が堪能なレジャバ閣下を交えて鼎談が行われた。

 スピテリ閣下は2002年、関西外国語大学における9カ月間のAsian Studies Program(アジア学習プログラム)で日本に初めて来日した。プログラムを修了して03年に帰国、マルタ大学を卒業した。その後、日本の文科省国費外国人留学生奨学金を得て07年に2度目の来日をして、東京外国語大学でJapanese Language Program(日本語プログラム)を修了後、立命館大学大学院(国際関係研究科)に入学、10年4月に卒業した。マルタ共和国に帰国後、14年7月に、日本に大使館をもたないマルタの日本大使に任命され、20年9月には駐日マルタ大使に任命された。マルタ大使に任命されてから、日本に大使館ができるまでの経緯を、スピテリ閣下は次のように語った。

マルタと日本との交流には、日本大使館が必要

 私は留学生だったとき、「どこからたきたのですか?」と尋ねられて「マルタから来ました」と答えると、「その国は、イタリア、またはスペイン、ギリシャにあるのですか?」と聞かれました。私は最初、喜んで説明していましたが、マルタを知らない人があまりにも多いため、そのうち答えるのに疲れてしまったのです。

 「日本にはなぜマルタ共和国の大使館がないのか?」と思うようになり、2度にわたる日本留学を経て、マルタに帰国した後もこの思いは消えませんでした。そこで、私は日本とマルタに関するブログを開設しました。

 2013年には、マルタで総選挙が行われました。マルタの選挙では、政治家は日本のような街頭演説ではなく、一軒一軒、国民の自宅を訪問するため、私はすべての政治家に会うことができ、日本とマルタとの関係に対する自分の思いを伝えることができました。その後、いくつかの縁がつながり、外務大臣に会うことができたため、「マルタと日本との交流のためには、日本大使館を開く必要がある」と訴えました。その結果、私は翌14年に、マルタの外務省から、日本に大使館をもたない、マルタの日本大使に任命されました。私はマルタ在住の日本大使として、マルタ日本商工会議所を設立し、経済交流や文化交流などさまざまなイベント企画を推進しました。

 そのおかげで、ローマに駐在している日本のマルタ大使にも、例年より多くマルタを訪問いただき、日本の議員の訪問も増えました。 17年には日本の安倍晋三首相がマルタを訪問、18年にはマルタのジョセフ・ムスカット首相、19年にはマルタのジョージ・ヴェラ大統領(「即位の礼」に参列)も来日をはたしました。その後、日本で次第にマルタのことが知られるようになり、昨年の20年9月28日に駐日マルタ大使館を開設することができたのです。

   このアンドレ閣下のお話に対して、レジャバ閣下は「駐日マルタ大使館開設までのスピードはとても速く、常にその中心になり尽力したのがスピテリ閣下です」と述べた。

 スピテリ閣下の趣味はキックボクシング・ボクシングである。マルタでは、日本の柔道、空手、合気道なども人気があり、スピテリ閣下も立命館大学大学院時代には、古式拳法クラブに所属していたという。

(つづく)

【金木 亮憲】

※1:国連経済社会理事会(ECOSOC)によって常設カテゴリー1に位置づけられるNPO・NGO組織。ロベルト・サビオ氏、ガリ元国連事務総長などの働きかけで1986年にイタリア・ローマに創設。発展途上国間および先進国と途上国間の交流、経済協力を推進することを目的として、世界規模の技術、経済および貿易を行うグローバルな情報ネットワーク・システムをもつ。

 国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)や国連食糧農業機関(FAO)などの国連機関と連携しながら(1)貧困撲滅(2)食糧増産(3)女性の地位向上(4)省エネルギーと先端技術導入(5)人道支援(6)環境の保護・維持・改善(7)都市の経済的発展の7つの柱の実現を目標に活動している。現在166 カ国、約150 万社がこの機構を利用している。 ^

※2:地中海中央部にあるマルタ島・ゴゾ島などからなる国。首都・バレッタは、古代遺跡や絶景で知られており、街全体が「世界遺産」となっている。古くから地中海の重要拠点として各国の争奪の的となったが、1800年以来、英国領となり、1964年に独立。主に繊維工業などが行われている。カトリック信徒が多い。2004年EU(欧州連合)に加盟、08年1月からユーロを導入。領土は日本の淡路島の半分の大きさで、人口は約51万人(19年)である。

 マルタは東西冷戦の終結を告げる歴史的な「マルタ会談」の舞台として知られている。1989年12月3日、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がマルタで米ソ会談を開催して、戦後44年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピールした。 ^

※3:国籍を問わず、優れた発明や専門的な事業を通じて、広く社会に貢献した人を顕彰するもので、高松宮賞、秩父宮賞と並んで、三大宮賞として知られている。

 国内では、中曽根康弘 元総理大臣、竹下登 元総理大臣、豊田喜一郎 トヨタ自動車社長、郷司浩平 (公財)日本生産本部会長、八木秀次博士(八木アンテナ発明者)、糸川英夫博士(ロケット発明者)、谷口誠 元国連特命全権大使、久保内卓亞 弁護士・日本公証人連合会元会長、西原春夫 早稲田大学第12代総長、瀧秀水 伝統創作版画家・浮世絵師、落語家・桂米丸氏、演歌歌手・大野穣氏(北島三郎)、プロ野球選手・村田兆治氏など、海外では、タナワン・ブックワン タイ王室最高顧問・国王主導プロジェクト委員会会長、ユスロン・イーザ・マヘンドラ 駐日インドネシア共和国特命全権大使、劉鐘海 韓国行政学会会長・元大統領政策諮問委員などが受賞している。 ^

※4:旧グルジア。西南アジアに位置し、黒海に面する共和制国家。かつてはソビエト連邦の構成共和国であったが、1991年4月9日にソ連からの独立を宣言した。面積は日本の約5分の1、人口は約400万人である。(2020年:国連人口基金)。コーカサス山脈を中心に国土の大部分が山岳地帯である。首都はトビリシ。ジョージアはワイン発祥の地として有名であり、8,000年前に生み出されたワイン製法が今も続いているだけでなく、それが最良の手法として実践されている唯一の国である。その製法は13年にユネスコの「無形文化遺産」に登録された。ジョージア人にとって、ワインは神聖な飲み物とされている。 ^

(後)

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