2024年04月20日( 土 )

【コロナで明暗企業(7)】SGホールディングス~親族間の抗争を勝ち抜いてきた創業家の栗和田会長が社長に復帰(3)

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 青いしま模様のユニフォームでおなじみの佐川急便を傘下にもつSGホールディングス。新型コロナウイルスの感染拡大で巣ごもり消費が増え、業績が絶好調な同社で衝撃的な人事があった。好業績を花道に引退すると思われていた創業家出身の栗和田榮一会長が社長に復帰する。再々登板だ。親族間の激烈な抗争を勝ち抜いてきた怪物経営者である。

“ホメ殺し”の黒幕は佐川急便社主の佐川清氏

 “ホメ殺し”には黒幕がいた。佐川急便社主の佐川清氏である。ジャーナリストの岩瀬達哉氏は『われ万死に値す-ドキュメント竹下登』(新潮文庫)で「佐川黒幕説」を論証している。

 新潟から裸一貫で出てきた佐川清氏は、事あるごとに同郷の田中角栄氏に助けられてきた。佐川急便は田中角栄氏の庇護の下に育った会社だった。佐川氏はいつも「田中先生に足を向けて寝られない」と言っていたという。

 田中心酔者の佐川氏には、田中氏から派閥を奪い、創生会(後の経世会)を旗揚げした竹下氏を許せなかった。そのショックで田中氏が脳梗塞で倒れたのだから、なおさらだ。

 これに渡辺広康氏との確執が重なった。渡辺氏は歌手やスポーツ選手のスポンサーとして銀座での豪遊は有名。佐川急便では、創業者の佐川清氏につぐ実力者だった。「佐川の政界担当」として、与野党議員を問わず人脈を広げた。田中角栄一筋の佐川清氏とは対照的だ。

 佐川清氏が田中角栄氏をバックにしたように、渡辺氏は金丸信氏に食い込んだ。そして、稲川会の石井進氏に、その人脈を通じて接近した。

 金丸・竹下両氏を後ろ盾にした渡辺氏はグループ内で急速に力をつけてきた。佐川氏の庇護者である田中角栄氏は脳梗塞で倒れた。佐川氏は渡辺氏に佐川急便を乗っ取られることを恐れるようになる。この2つの思いが重なり、佐川氏の竹下憎しは倍加していく。かくして竹下氏への“ホメ殺し”が実行された。

稲川会・石井氏の謝礼に岩間カントリークラブを譲渡

 竹下政権誕生の最大の功労者は、稲川会の石井進氏と東京佐川急便の渡辺広康氏である。87年12月23日、金丸氏は政権誕生の礼をいうため、東京・一番町の料亭「藍亭」に石井氏と渡辺氏を招待した。

 その謝礼に、茨城県のゴルフ場、岩間カントリークラブが石井氏側に譲渡された。岩間カントリークラブは平和相互銀行系列の太平洋クラブが開発中のゴルフ場で、運営するためにつくられた会社が岩間開発だ。86年10月に平和相互は住友銀行に吸収合併され、その2カ月後、岩間開発は東京佐川急便に売却された。

 岩間開発の経営権を手に入れた東京佐川急便は、土地買収を進め、ゴルフ場を完成させた。このとき、土地の買収資金を融資したのが、渡辺氏がつくった不動産会社・北東開発である。

 89年、岩間開発は第三者割当増資を実施。石井氏が設立した不動産会社の天祥が筆頭株主となり、石井氏は岩間カントリークラブの実質的なオーナーになった。

  石井氏は表社会に進出していく。89年4月、石井氏は手に入れたばかりの岩間カントリークラブの「会員保証金預かり証」を利用して、384億円をかき集めた。岩間カントリークラブは会員制のゴルフ場ではないから、預かり証は何の価値もない。ただの紙切れ同然だ。 

 預かり証の購入者は、東京佐川急便が80億円で最も多く、野村證券や日興證券の関係会社がそれぞれ20億円購入していた。一言でいえば、稲川会が守護神となって、外敵から守っている企業と、仕手グループだった。石井氏は仕手集団・光進代表の小谷光浩氏のアドバイスに従い、東京急行電鉄株式の買い占めに乗り出した。

 だが、バブル経済が崩壊。石井氏は返済不能に陥り、巨額の債務を抱えた東京佐川急便の経営が悪化した。親会社の佐川急便は91年7月、社長・渡辺広康氏ら東京佐川急便の幹部を全員解雇。同月、渡辺を特別背任(商法違反)の疑いで東京地検に告訴した。91年9月、石井氏が病死し仕手戦は終った。

石井氏の関連企業への融資と債務保証は4,395億円

 石井氏側に資金を出したのが東京佐川急便だ。東京佐川急便は岩間カントリークラブをはじめ、石井氏の関連企業に対して、次々と融資や巨額の債務保証を行った。その総額は4,395億円、40企業と1個人(石井氏本人)におよんだ。

 東京佐川急便からの資金流出は桁外れだ。東京地検は、カネの流れと人脈を仕分け。東京佐川急便経営陣による(1)暴力団がらみの背任、(2)政界への資金提供、(3)それ以外の背任事件の3ルートに整理した。

 暴力団がらみでは、石井氏系企業に組み込まれた北東開発と、石井氏がオーナーの1社で「稲川会経済部」といわれた北祥産業の2社に対する157億円の債務保証を特別背任罪で立件した。

 渡辺がタニマチとして政界にバラまいた“佐川マネー”はウン百億円といわれた。佐川急便の創業者、佐川清氏(2002年3月死去)は生前、「佐川のカネが誰にいくら配られたか明らかになれば自民党は潰れる」と語っていたという。だが、渡辺が口を割らなかったため、政界ルートの解明はできなかった。

 政治家では、東京佐川急便から5億円の献金を受けていた金丸信氏が、政治資金規正法違反で略式起訴され、世論の猛反発を招き、議員辞職に追い込まれた。渡辺氏は03年3月に最高裁で懲役7年が確定。その1年後に69歳で病没した。

 東京佐川急便事件は、政権中枢と暴力団が深くつながった「政界の暗部」の一端を浮かび上がらせた事件であった。

(つづく)

【森村 和男】

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