2024年04月18日( 木 )

工業都市からスーパーシティへ、九州2位・北九州市の栄枯盛衰(3)

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九州初の政令市になるも福岡市の後塵を拝する

 前述のように激しい空襲被害によって市街地が焼け野原になりながらも、戦後の北九州エリアは急速な復興・発展を遂げていくことになる。それを支えたのは、八幡製鐵所の存在だ。GHQの占領下において、政府が経済復興のために実施した経済政策「傾斜生産方式」によって、全国の鉄鋼生産が八幡製鐵所に集中。さらに、50年6月に勃発した朝鮮戦争による特需も加わって、50年代には工業用水の確保や港の改良、鉄道や道路などのインフラ整備が進んで工業が急速に発展し、北九州エリア一帯は日本の四大工業地帯の一角「北九州工業地帯」として全国にその名を馳せ、重化学工業を中心に日本の近代化・高度経済成長の牽引役をはたした。一方で、市街地の大部分が海と山に挟まれ、平野部に乏しいという地勢上の特徴から、山の斜面にまで住宅地のスプロール現象(都市が無秩序に拡大してゆく現象)が進行し、都市が拡大していった。また、都市の発展とともに交通インフラ整備も進み、58年3月には関門海峡の海面下を通る関門国道トンネルが開通したほか、62年9月には洞海湾をまたぐかたちで、当時「東洋一の吊り橋」と呼ばれた若戸大橋も開通した。

 しかし一方で、急速な工業の発展は激しい公害をもたらした。とくに、沿岸部に多くの工場が立地していた洞海湾は、廃水や油によって汚染され、60年代には魚介類はおろか大腸菌も棲めない「死の海」と呼ばれるまでになったほか、工場からの排煙で上空が七色に染まって「ばい煙の空」と呼ばれ、国内最悪の大気汚染を記録したとされている。なお、これらの公害は、子どもの健康を心配した母親たちによる市民運動を契機として社会問題化し、企業や行政がその対策に乗り出した。その後、市民・企業・行政の一体的な取り組みにより改善し、80年代には環境再生をはたした。

東田第一高炉跡
東田第一高炉跡

 そして冒頭でも触れた通り、63年2月に門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の五市が合併し、九州初の政令指定都市となる「北九州市」が誕生。五市はそれぞれ門司区、小倉区、若松区、八幡区、戸畑区となった。また、74年4月に小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡東区と八幡西区にそれぞれ分区。現在は7つの行政区で北九州市を形成している。なお余談だが、五市合併後の新市名を決めるにあたっては全国公募が行われ、1位「西京市」、2位「北九州市」、3位「玄海市」、4位「洞海市」という結果になった。そのため、当初は新市名が西京市になる予定だったが、諮問委員会の答申や特別委員会での検討により、「天子様(天皇)がおられた歴史がないのに『京』を名乗っていいのか」という意見が出たほか、大正以降の国定教科書ですでに「北九州工業地帯」という記述がなされていたこと、場所がわかりやすい市名で全国にPRしやすい、などの理由から、次点である北九州市に決まったとされている。

 こうして政令市となり、名実ともに九州一の都市となった北九州市だが、その栄華は長くは続かなかった。まず、戦後の日本および北九州の発展を支えてきた「鉄のまち」八幡の製鉄業だったが、日本の製鉄業の本場は次第に太平洋側の本州へとシフト。72年には東田第一高炉を含めたすべての高炉が稼働停止となった。日本全体で工業の重要性が低下していくなか、工業都市である北九州市への影響はとくに顕著だった。

 また、60年代半ばからは航空機時代が到来。都市の発展にとって、空港の存在が必要不可欠となった。だが、当時の北九州空港(旧・小倉空港、小倉南区曽根)は1,500mの滑走路しかないためジェット機の離着陸ができず、72年4月の供用開始時点からジェット機の離着陸が可能だった福岡空港の優位性が際立っていった。実は、「支店経済都市」といえば福岡市のイメージが強いが、それまでは北九州市も九州の陸の玄関口として、福岡市に負けない規模の支店経済都市であった。だが、両都市の空港機能の違いおよび市街地への利便性の差異に加え、博多駅を終点とする山陽新幹線の開通(75年3月)によって支店経済都市としての福岡市の優位性は揺るぎないものとなっていった。

 こうして北九州は九州2位の座に陥落。現在に至っている。

 北九州市はご存知のように、これまでものづくりの工業都市としての進化を遂げてきたまちです。世界的に見ると2000年代以降、とくにドイツやアメリカなどの工業都市では、ものづくりにITなどを組み合わせて進化させられるかどうかが、ものづくり都市としての分かれ道だったと思います。そのなかで北九州は、これまでは重厚長大産業で、DXを取り入れた進化が遅れているという現状があります。加えて、アジアを中心とした他都市の追随で競合が増えて、工業都市としての立ち位置が段々と弱くなっているのが、今の北九州市の衰退イメージの要因だと考えています。

 そのため、課題としては明確で、その解決策はいわゆる生産性の向上など、ものづくり産業をいかにDX化していくかだと思います。ちょうど我々が令和3年度「中小企業DX促進事業」の事業者に選定されましたが、今後は北九州でも、ものづくり企業をDX化させようという動きが始まっているところです。北九州に比べて福岡市にはものづくり企業が少ないので、ものづくり産業のDX化というのは、北九州ならではの強みを生かせる面白い取り組みじゃないかと思います。

(一社)まちはチームだ 代表理事 岡 秀樹 氏 もう1つは、コンパクトシティ化ですね。北九州に限らず人口減少下にある都市では、都心部に機能を集約したうえで都市サービスを考え直していくことは、1つのソリューションになっています。拡大する都市ではなく、縮退する都市の在り方を考えていくコンパクトシティ化については、北九州市は先行して取り組んでいる部分もあります。

 こうしたDX化やコンパクトシティ化などによって都市をアップデートしていくことで、北九州市はまた新たな魅力や強みを付加しながら、そのポテンシャルを発揮していくのではないでしょうか。

(一社)まちはチームだ 代表理事 岡 秀樹 氏

(つづく)

【坂田 憲治】

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