2021年12月01日( 水 )
by データ・マックス

クーデターによるトップ交代の山口銀行を検証する (前)

 【表1】、【表2】を見ていただきたい。
~これらの表から見えるもの~
◆山口銀行の前身は、旧長州藩士らが井上馨(長州藩士・明治政府の要職を歴任)の勧めにより、金禄公債を主な原資として、1878年11月25日に資本金60万円で設立した第百十国立銀行である。
 初代頭取には士族総代の右田毛利家・毛利親信(藤内)が就任。本店は県庁が所在する山口の米屋町だったが、80年に赤間関市(現・下関市)に移転。
 井上薫は西郷隆盛から「井上は(明治維新)政府高官ながら『三井の大番頭』だ」と皮肉られるほどの政商だったといわれる。
◆第百十国立銀行は、国立銀行としての営業満期により98年11月25日、(株)百十銀行として営業を継続。
・当初は三井財閥系だったが、1927年3月に発生した「昭和金融恐慌」で経営が厳しさを増したため、三菱銀行に支援を求めて三菱財閥系の銀行となったが、その関係も長くは続かなかった。
◆太平洋戦争が41年に勃発。戦時下の金融再編が急務となり、非財閥系の三和銀行の支援を受けて、百十銀行を主体に山口県内の宇部・船城・華浦・大島の5行が合併し、44年3月31日に(株)山口銀行が設立された。

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 【表3】を見ていただきたい。山口銀行の歴代頭取の推移表である。
~この表から見えるもの~
◆山口銀行の初代頭取は広津次郎氏(54歳)。広津氏は三和銀行出身で43年に百十銀行の副頭取に就任していた。在任期間は44年3月~49年3月までの5年間だった。
◆その後を受けて頭取となったのは、同じく三和銀行出身で山口銀行の常務在任5年の布浦眞作氏(就任時53歳)だった。
・布浦頭取の在任期間は49年3月~74年5月までの25年2カ月で、実に四半世紀におよぶ。筆者が山口銀行に入行したのは70年4月であり、布浦頭取(74歳)の時だった。
・74年5月、布浦氏が会長となり、プロパーの伊村光氏が新頭取に就任。その翌75年5月8日、布浦会長の長男で三和銀行出身の布浦賢作氏が山口銀行に入行し常務に就任している。
・会長の息子がいきなり常務に就任させることができたのは、山口銀行が非上場だったことが幸いしたようだ。また頭取に就任したばかりの伊村光氏も、布浦会長の「子を思う親心」の申し出を認めざるを得なかったものと推察される。
・85年2月、布浦氏は取締役相談役で死去。享年90歳だった。

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(つづく)

【(株)データ・マックス顧問 浜崎 裕治】

(後)

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