• このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年08月24日 17:28

クーデターによるトップ交代の山口銀行を検証する(後)

 前編に続き、【表3】を見ていただきたい。山口銀行の歴代頭取の経歴表である。伊村頭取から検証していく。

▲クリックで拡大

~この表から見えるもの~
◆山口銀行3代目頭取の伊村光氏はプロパーである。1935年4月、山口高等商業学校(現・山口大学)を卒業し、山口銀行の前身である百十銀行に入行。74年5月、東京駐在専務から頭取に昇格。頭取就任時は59歳だった。

 伊村頭取となった5年後の79年10月、徳山東支店支店長による定期預証書偽造事件が発覚。取引先の不動産業者の倒産を回避するために、金融業者の導入預金を不正に受け入れる手口であった。

 この事件による山口銀行の実質的な損害額は16億9,000万円に上ったといわれる。布浦眞作代表取締役会長は代表権を返上し、取締役相談役に降格。当時の徳山地区の支店を統括する母店長の田中耕三取締役徳山支店長は、責任を問われることなく、専務取締役へと昇格した。

 伊村氏は18年間も頭取の座にいたため、行内に「田中頭取待望論」が台頭。それを事前に察知した伊村頭取は取締役会長となったため、「頭取交代(クーデター)」は未遂に終わったといわれる。

◆4代目は田中耕三氏。東京駐在専務を経て、92年6月に頭取に就任。53年7月1日、山口銀行の労務対策者として日立製作所から詔勅された。頭取在任は92年6月~2002年6月までの10年間。取締役に残ることなく、相談役に就任した。

◆5代目は田原鐡之助氏。専務取締役東京駐在本部長を経て、02年6月に頭取に就任。

04年5月21の決算取締役会に、任期満了にともなう新経営陣の顔触れを決めるにあたって、田原氏は自らの再任を含む新役員リストを提出した。ところが、役員の1人が田原氏の名前を外した対案を提出。15人の取締役のうち8人が対案に賛成し、田原頭取は1期2年で解任されることが決まった。

◆田原氏を頭取に指名したのは田中頭取だが、田原氏は頭取に就任早々、第一生命の正下文子外務員との癒着による保険勧誘の是正と、不良債権の処理を一気に前倒しで進めた。

 不良債権の大半は田中頭取時代の案件。不良債権の処理をめぐって、田原頭取と田中相談役の関係がこじれた。改革を急ぐ田原氏を、相談役と守旧派が手を結んで追い落とす「クーデター」が発生。このクーデターこそが、筆者が『実録 頭取交替』(講談社)を発刊する動機となった。

◆7代目は吉村猛氏である。福田浩一頭取の後を受けて、16年6月に山口FG社長兼山口銀行頭取に就任。

 18年6月、山口銀行頭取を神田一成氏と交代し、山口銀行代表取締役会長に就任。21年5月14日開催の山口FGの臨時決算取締役会議で、久野耕一郎取締役副社長ユニットCOOが退任し、吉村会長の後任として山口銀行代表取締役会長に就任する人事を発表した。

まとめ

 【表4】の通り、6月25日に開催された山口FGの株主総会で、吉村猛グループCEOおよび椋梨敬介代表取締役社長グループCOOの再任が承認された。

 しかし、株主総会後の臨時役員会議で、吉村氏の専制的な経営態度が問題となり、代表取締役会長を多数決で解任され、取締役に降格。代表取締役社長グループCEOに椋梨敬介氏が就任する案が承認された。いわゆる2度目のクーデターが発生したのだ。

 吉村氏は山口FGの会長として、傘下の山口銀行をコントールできると考え、山口銀行会長の座を久野氏に譲ったことが裏目となったようだ。今後は、山口FGの中心である山口銀行・神田一成頭取の手腕が問われそうだ。

 

(了)

【(株)データ・マックス顧問 浜崎 裕治】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

     

トップニュース

pagetop