2024年04月25日( 木 )

酔いどれ編集者日本を憂う(前)

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『週刊現代』元編集長 元木 昌彦 氏

もはや需要なしの「日本人論」

『週刊現代』元編集長 元木 昌彦 氏
『週刊現代』元編集長 元木 昌彦 氏

 「日本人論」を書店で見かけなくなって久しい。昔は、日本人について書かれた本は、著者が外国人であれ、日本人であれ、内容が批判的でもよく読まれた。著者はユダヤ人名になっているが、山本七平が書いたといわれる『日本人とユダヤ人』(山本書店)は1971年のベストセラー第1位になった。『ひよわな花・日本―日本大国論批判』(1972年、ズビグネフ・ブレジンスキー・サイマル出版会)、『「縮み」志向の日本人』(1982年、李御寧・講談社)なども話題になった。

 最も有名な日本人論はエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(TBSブリタニカ)であろう(1979年のベストセラー第5位)。内容は手放しの日本礼賛論ではないが、タイトルが1人歩きして、日本中が、「俺たちは世界一だ」と湧き立った。1990年にはビル・エモットが『日はまた沈む』(草思社)を出し、日本のバブル崩壊とその後に来る高齢化社会を的確に予測した(彼が17年後に出した『日はまた昇る』は、内容的にもお粗末で話題にもならなかった)。

 作家の井上ひさしは、『ベストセラーの戦後史』(文藝春秋)のなかで、1つのテーマのベストセラーの周期は10年から12年だといっている。英会話学習本などは今でもこの周期でベストセラーが出ているようだが、日本人論は1990年を境に途絶えてしまった。バブルが崩壊して以降、日本経済が低迷して韓国や中国が台頭してくるに従って日本人論は姿を消し、替わって嫌韓本や嫌中本が出回るようになり、何冊かはベストセラーの上位に顔を出すようになる。

 外国から日本人について論じられなくなったのは、経済大国の座から滑り落ちても、いまだに過去の幻影を忘れられず、政治の貧困による格差や差別が現実にあるのに、見ざるいわざる聞かざるを決め込んでしまう日本人という堕落した民族など、もはや論じる対象ではなくなってしまったからであろう。

 2005年に講談社から『クーリエ・ジャポン』という隔週刊誌が創刊された(現在はオンラインのみ)。世界の新聞や雑誌が取り上げた日本についての記事を紹介するというコンセプトだったが、発売早々に行き詰まってしまった。日本を取り上げる媒体が少なすぎて、誌面が埋まらなかったのである。

去勢された日本人

 私は、2000年代初めから始まった小泉政権以降、民主党政権を含め、安倍政権、菅政権と、戦後最悪と思われる政治が陸続と続くなかで、日本人は大事なものを見失ってしまったと考えている。小泉純一郎は、ライオンヘアとワンフレーズポリティクスで人気を得た。だが彼がやったことは、竹中平蔵を経済財政担当相に据え、新自由主義を無批判に受け入れ、非正規社員を果てしなく増やし、巨大な下層階級である「アンダークラス」(橋本健二早大教授)を出現させ、固定化させたことであった。その元凶である竹中が、非正規を大量に生み出した“功績”により、人材派遣会社「パソナ」の会長に収まるに至っては、呆れ果てるというしかない。

 民主党・野田政権の自滅解散により、奇跡的に復帰した安倍の第2次政権は、まさに口から出まかせの嘘つき政権だった。憲法を蔑ろにし、集団的自衛権を容認するという戦後最大の暴挙はいうまでもないが、安倍政権の罪は、森友学園、加計学園、桜を見る会疑惑を見ればわかるように、権力を私利私欲のために私物化したことである。国会で追及されると嘘で糊塗した答弁を平気で行い、挙句に、証拠になる文書の改ざんまで命じて恥じなかった。「(安倍)一強政治」といわれたが、実態は薄っぺらなハリボテ政治であった。

 中村喜四郎という政治家がいる。今は立憲民主党の知恵袋だが、かつては自民党のプリンスといわれ、将来の総理候補といわれたことがあった。1994年、ゼネコン汚職にからみ斡旋収賄罪で逮捕され、140日間拘留されてしまった。だが、出所してくると無所属で立候補し、以来、連続当選を続け「無敗の男」といわれる。

 自民党政治を熟知している中村が『無敗の男 中村喜四郎 全告白』(常井健一著・文藝春秋)で、こういっている。「安倍政治の最大の功績は、国民に政治をあきらめさせたことだ」と。けだし名言である。安倍だけではないが、これだけ政治屋たちの嘘、誤魔化し、開き直りを見せられてくれば、国民が政治に諦念をもつのも致し方ないとは思う。

(つづく)


『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』
(現代書館・定価1,700円)

<プロフィール>
元木 昌彦
(もとき・まさひこ)

1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に講談社を退社後、市民メディア『オーマイニュース』編集長・社長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、などがある。

(後)

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