2024年04月19日( 金 )

【唐津街道中膝栗毛/前編】開発の波に呑まれ、往時の面影はわずか 唐津~博多の旧宿場町

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唐津(唐津市)

往時の面影が散見する、唐津藩の城下町

唐津城
唐津城

 唐津街道の終着点であり、街道の名称にもなっている唐津。玄界灘に面した要害の地であり、朝鮮半島や大陸に近い地勢的な立地から、古代より大陸との密接な関係の下に歴史を重ねてきた場所である。唐津の地名の由来は「唐の津」――つまり「唐(中国)へわたる港」からきているという説もある。

 唐津のシンボルである唐津城は、1608(慶長13)年に完成した平山城(平野のなかにある山・丘陵などに築城された城)である。築城の際には、名護屋城の解体資材を用いたとされている。松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸に形成された陸繋島である満島山の上に本丸が建てられ、その西側に二の丸、三の丸が配され、三の丸の南側に外曲輪(そとぐるわ)が区画されていた。本丸には天守台があるものの天守閣は存在しなかったとされており、現在の天守閣は1966年に文化観光施設として建造された、5層5階の慶長様式の模擬天守である。二の丸には藩主の住居と藩庁があったほか、三の丸には藩士の住居が、外曲輪には町人街が築かれ、町奉行が置かれていたとされている。また、唐津城の築城は、城下町の造成とともに松浦川などの治水事業とも連動していたとされており、その過程で防風林として生まれたのが、日本三大松原の1つとして知られる特別名勝「虹の松原」である。

左:旧唐津銀行 辰野金吾記念館 / 右:唐津神社
左:旧唐津銀行 辰野金吾記念館 / 右:唐津神社

 こうした城下町の面影は、現在の唐津市の中心市街地にもところどころ残されている。たとえば、JR唐津線および筑肥線の唐津駅の北側にあたる中心市街地では、唐津市役所をはじめとした公共施設や金融機関の支店などが集まるほか、京町商店街と呉服町商店街などでは繁華街が形成されているが、エリアのところどころに石垣や堀、櫓などの遺構や、古い町屋などが残るほか、「佐賀銀行 唐津支店」のように、古い建築物などを模した外観の建物も散見される。また、唐津街道の通っていた江戸期のものではないが、「旧唐津銀行 辰野金吾記念館」や唐津の炭鉱王・高取伊好の邸宅である「旧高取邸」などの明治期以降の趣のある建築物もあり、これらは市のウォーキングルートに組み込まれるなどして、現在も観光面で活用されているようだ。なお、視覚的な面影ではないが、唐津城に近いエリアの町名には「北城内」「南城内」「西城内」や「大名小路」などといった名が付けられているほか、旧町人街にあたるエリアでは「呉服町」「米屋町」「八百屋町」「魚屋町」「材木町」「紺屋町」「木綿町」などの住んでいた町民の職業にちなんだ名が今なお残っているのも、往時を偲ばせる一要素だろう。

 このように、唐津城を中心として往時の面影が比較的残されているように思われる唐津の中心部だが、現在は国道202号・唐津バイパス沿いなどに商業施設や店舗が林立している影響もあって、都市開発の動きはやや鈍化しているように見受けられる。そうしたなか、唐津市役所では現在、老朽化にともなう新庁舎の建設工事を実施中。22年4月には新庁舎が開庁し、現庁舎はその後に解体されて立体駐車場などが新設される予定だ。ほかに民間企業によるマンション開発の動きでは。大英産業(株)(北九州市八幡西区)による「サンパーク唐津駅南レジデンス」(42戸、22年8月竣工予定)などがある。

左:唐津駅 / 右:旧高取邸

【坂田 憲治】

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